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初版公開:2012年12月4日


●ガラスのオブジェ

 少女はそのショーケースにかじりついていた。彼女がここにやって来たのは数十分前の話だ。
 店員である自分からしたら追い払うことなどできないが、しかし邪魔なのもまた一つ。だが、頼りになる店長は今日も休みだし、今一緒に居るのは気が弱くてすぐ泣く後輩だけだ。
 さてどうしたものだろうと暫く彼女を観察していたが、彼女は全く動く気配を見せない。一度だけこちらをちらりと見た以外は、ずっとガラスの前に立っていた。
 その間にも何人かの客を捌いたが、彼らはごく普通に買い物をしていっただけだ。毒消しやら、眠気覚ましやら。森が近いこの店では、薬の類いがよく売れる。さっきだって、万能薬を数十個も買っていった少年がいた。
「いらっしゃいませー」
 入ってくる客に対して、後輩が愛想を振りまく。今入ってきたのは、金髪の男だった。腰のチェーンがじゃらりと音を立てる。あんまりガラのいい人ではないな、という第一印象。彼は回復の薬をぽいぽいとカゴに入れていく。ああ、あんなに買うってことは、相当リッチなんだろう。それか、相当戦う回数が多いのか。
 と、そこに一人、また入ってきた。と思ったら、ポケモンだった。確か、あれはエルレイドと言ったか。一見すると人型だが、タマゴを作れる相手は何故か幽霊とかクラゲとか、ふわふわしたやつが相手。よく分からないポケモンだ。片手にメモを持っているから、きっとお使いなのだろう。エスパータイプはひどく頭が良い、やつが多い。もっとも、自分の相棒は、そんなに頭が良いほうではなかったりする。エスパーのくせに。今日もきっとだらだら部屋で寝ているに違いない。
 そんなことを考えているうちに、男のほうは買い物が終わったのだろう。こちらにずんずんと歩いてきた。無表情のまま台にカゴを置く。ドン、という音がしたのは、決して彼が叩き付けた訳ではなくて、カゴの重量がものすごいことになっていたからだが。
「はい、ありがとうございます」
 後輩がレジを打つ横で、自分はひたすら袋詰めをしていく。忙しいときなら一人でやらせるのだが、今日は暇すぎて他にやることもない。ああ、彼が帰ったら商品を補充しなければならないか。
「……以上で、十五万二千六百円になります」
 彼が買ったものは、回復の薬が五十個と、モンスターボールが十個。に加えて、サイコソーダ二本。無表情なまま、彼はクレジットカードを提示した。色は黒だ。やはりリッチ。
「はい、カードをお預かりします。お支払い回数はどうされますか?」
「一括」
 後輩はニコニコしながらカードを通す。署名お願いします、とボールペンとレシートを渡すと、彼はさらさらとそこに名前を書き付けた。それを後輩に返し、商品を受け取ると、さっさと店を出て行ってしまう。
 レシートに書かれた名前を見て、あっと後輩は声を上げた。
「あの人、シンオウのジムリーダーですよ」
 興奮している様子で、彼女はなにやらべらべらと語り出す。シンオウでも最も強いとされるジムリーダーと同じ名前の男。彼の使ったカードに刻まれていた会社名はシンオウのものだ。あれだけ沢山買っていったのも、ジムリーダーというのなら、辻褄があう。そう言って後輩は笑った。
「でもなんであの人がこんなへんぴな所にいるんでしょうか」
「さあ? 修行とかじゃないか?」
 適当に相槌をうちながら、視線は少女へと戻す。ガラスケースの前に佇む、無表情な彼女。
「……先輩、商品の補充とか、いいんですか」
 不意にそんなことを言い出す後輩。ああ、と生返事をして、レジを任せることにする。バックヤードに回り、回復の薬が詰め込まれた箱を引っ張り出してくると、棚に並べた。
「……ううん、足りなくなりそうだし、注文しないとな」
 回復の薬を買っていく人は地味に多い(ただし大抵は一つか二つだが)。なんといっても、体力と同時に瀕死以外の状態異常を回復できる。
 チェック表に注文個数を書きつけ、ぐるりと店内を見回した。相変わらず少女はガラスケースに張り付いているし、後輩はレジの前だ。そういえば、エルレイドはどこだろう。
『あの、すみません』
 後ろから声。
「はい」
 反射で後ろを向くと、エルレイドが困ったような表情を浮かべて立っていた。まさか彼が喋ったのだろうか。ポケモンは喋らないというのがこの世界の一般的な認識だったはずなのだが。
『えっと、元気の塊は置いていますか?』
 訊ねられた。その言葉に、人間と大した違いはない。しいて言えば、「口を開いていない」ことだけだろうか。
「はあ、申し訳ないんですが、元気の塊はうちの店では扱ってないんです。仕入れがなかなか困難でして……すいません」
 その答えに、彼はそうですかと返事をして、くるりと踵を返す。レジの後輩はびっくりしたようにこちらを見ていた。
 さて、他にも今日売れたものを補充しなければならない。モンスターボールもそろそろ注文入れないとまずいな、などと思いながら、倉庫に引っ込む。
 たくさんのダンボールの中から、必要なものを選び抜く。これと、あれと、それと。店内に箱が散乱することのないよう、一箱に纏めてしまうと、それを台車に乗せた。
 ガラゴロと響く車輪の音。少女は一寸も動かない。が、一瞬、こちらを見た。そのとき、目と目が合ってしまう。どうしよう、とたじろいでいると、彼女のほうから口を開いた。
「すいません……これ、おいくらですか」
 柔らかい声。その視線はケースの中のものに向けられている。きらきらと照明に煌めいたそれを、売ることはできない。
「ごめんなさい、それは売り物ではないんです。展示品というか」
「お金なら幾らでも出します。だから、このガラスのオブジェを、私に譲ってはくださいませんか」
 店長の手持ちで、チームのエースだったというポケモンを象って作られた、美しい彫刻。少女の目はまっすぐこっちを見ていた。
「そう言われましてもですね、僕には権限がないんです。なにせ、店長の私物ですから……」
「そうですか。……それでは、店長さんは今はいらっしゃらないのでしょうか」
 直接掛け合うつもりなのだろう。しかし僕は首を振る。
「店長は数日前から行方知れずで。いつものことと言ってしまえばそれまでなのですが……」
 元から放浪癖のある人だからこちらも気にはしていないが、流石に居ないときに彼の私物を譲るのは、いくらなんでもまずい。少女は頷いた。
「では、お戻りになったら、こちらに連絡してくださいませんか」
 そう言って名刺を手渡してくる。それは構わないが、と渡されたものを見ると、そこには超のつく大企業の名前。しかも、社長、とある。流石の自分も、これには驚いてしまった。
「あの、えーと」
 何から訊けばいいのか言葉に困っていると、少女はにっこり微笑んで、さっさと店を出て行ってしまった。一体全体、どういうことなのだろうか。
 呆気に取られてその場に立ち尽くしていると、後輩がこちらに近づいてきた。咄嗟に名刺をポケットに仕舞い込む。
「先輩、今、誰かと会話してませんでした?」
「え? ああ、まあ……」
 すると彼女は顔を強張らせた。なにか変なことを言っただろうか。
「誰もいなかったんですよ、先輩の目の前には」
 言われた瞬間、ひどい頭痛に襲われる。暗転する世界。崖から足を踏み外して、落ちていく、あの感覚。何故かそれを一度体験したかのような、そんな感覚が、自分の中で弾けた。

 重たい目蓋を無理矢理こじ開けると、事務所の天井が目に入った。蛍光灯が、目をちかちかと眩ませる。
「お、気付いたか!」
 その見知った声に、隣を見る。
「……店長」
 よう、と彼は笑う。店長が戻ってきたということは、かなり時間が経っているのだろうか。
「いや、まだお前が倒れてから一日しか経ってないぞ」
 そう笑うと、頭をがしがしと撫でてくる。髪がぐちゃぐちゃになるので正直やめて欲しい。
「あ、そういえば」
 ポケットに入れた名刺を引っ張り出すと、店長に渡す。
「これ、貰ったんですが。あのオブジェを譲って欲しいという少女から」
 瞬間、彼の表情はぞっとするほど冷たくなった。なにかまずいことを言ったか。
「……店長?」
「この名刺をくれたのは、どんなやつだった?」
「え? ……ええと」
 服は確か赤色で、髪は茶髪で、バンダナを巻いていた。
「……やっぱり」
「や、やっぱりってどういうことなんですか」
 それは俺のお隣さんだったやつだよ、と店長は言うと、デスクの上の手帳から、一枚の古い写真を引っ張り出す。
「! これって、」
 僕と会話したあの少女が、誰かと一緒に写っている。抱えているのは、オレンジ色のひよこ。初心者向けのポケモンだ。名前はアチャモと言ったか。
「これは十年以上も昔の写真だ。俺たちが旅立つときに撮ったんだが……お前が見たのはこの人だろう」
 写真の中の少女はとても楽しそうに笑っている。隣の、キモリを抱えた少年は、若い頃の店長か。店長の手持ちには、ジュカインがいる。
「……あいつが、オブジェを欲しがってるってことかな。そうだよな、夢だったもんなあ」
 どこか遠くを見て、彼は呟いた。その瞳に、少し前の冷たさはない。
「店長?」
「ああ、ごめんごめん。とりあえず、この名刺、貰ってもいいか?」
 それは構わなかった。が、いったいなにがどういうことなのか。訊ねようとするが、店長の興味はもうこちらには向いていなかった。

 その数日後、ガラスのオブジェは、ケースの中から取り出された。
「驚いたよ、君が連絡を寄越すなんてね」
 なにやら親しげに会話している店長と、スーツの男。自分と後輩はあの日のように、レジに立っている。
「でも、いいのかい? ガラスのオブジェは君が大切にしていたんだろう」
 問われ、柔らかい口調で言う。
「彼女に贈ってやったほうが、喜ぶでしょう」
 そうだね、とスーツの男は笑い返す。薄い水色の髪の、その男性は、オブジェに歩み寄って、それに触れる。
「君は……大人になったね」
 時間が止まってしまったあの子とは逆だ、と言葉の刃を突きつけられたにも関わらず、店長はなにも言わない。ただ、微笑むだけだ。
 オブジェが運び出されて、男が去ったあと、店長は静かに口を開いた。
 彼女はコンテストを全制覇するという目標を掲げていた。それはすごく難しいことだったが、彼女は幸運にも才能に恵まれ、あと少しでその目標を達成するところまで来た。
 しかし、そのとき、大災害が起こった。十二年ほど前の話。自分がまだ小さい頃だったが、テレビの中に映る映像は印象に残っている。
「そのとき、彼女は死んでしまった。俺を庇って、崖から落ちて」
 復興が落ち着いた頃、店長はコンテストを全制覇することを決めた。せめてもの弔いに、と。バトルばかりしていたからとても難しかったが、それでもなんとか、成し遂げた。
「……そのときの記念品があのオブジェだよ」
 もうそこには無いものを見つめて、懐かしそうに語る。
「もう十年前の話だし、今更どうってことじゃないんだけどね」
 軽く笑って、彼はふと気付いたように言う。
「そうだ、ショーケースが空になってしまったんだよな。何か置いておくか?」
「……アチャモのぬいぐるみとか、どうでしょうか」

 数ヶ月後、店の中。あのガラスケースの中には、後輩が持ってきたぬいぐるみが沢山あった。
「……壮観だな」
 ぼそりと呟くと、後輩は顔を真っ赤にしてこちらを見た。
「ち、違います! 私じゃなくて、うちの妹が集めてたんですっ」
「一人っ子じゃなかったか?」
 問うと、彼女は泣きそうな表情でうつむいてしまう。ごめんごめんと笑って、ケースの中で狭そうにしているぬいぐるみを手に取った。
 オレンジ色のひよこは、とてもよくできていて、ふわふわと手触りがいい。ぬいぐるみとは思えないあたたかさ。
「……うん? あたたかい?」
 するとぬいぐるみは急にひよひよと鳴き出して、もぞもぞと動き出す。なんだ、なんなんだ。
「ぬ、ぬいぐるみが動いた?!」
 思わず叫ぶ。後輩もそれにはびっくりしたようで、いったいなにをしたんだと自分に訊いてくる。なにもしていない。なにか妙なことをした覚えもない。
「ふふっ」
 不意に、あの声が聞こえた。声の方を見ると、白い影。
「オブジェのお礼、って店長に伝えておいて下さい」
 ぬいぐるみだったはずのアチャモは、いつの間にか普通のアチャモへと変貌していた。どういうことだか、何が起こっているのか、さっぱり分からない。
「ありがとう」
 その刹那、彼女の姿はもう消えてなくなっていた。あとに残ったのは、腕の中で動く一匹のアチャモと、すっかり古くなった青いリボン。

 店長にその話をすると、アチャモを持っていけと言われた。お前の家ののんびり屋となら、仲良くできるだろうと笑う。
「無茶苦茶ですよ、こんなの」
 ひよひよと腕の中で鳴くアチャモは、店長に撫でられて嬉しそうにしている。店長が持っていればいいのに。
「はは、無茶苦茶なのは俺の十八番さ。……それにしても驚いた。あいつ、うつくしさコンテストも制覇してたのか」
 リボンを眺めて、彼は満足げに頷くと、アチャモの胸につけてやる。オレンジに青色が映えて、きらりと輝いた。
「うーん、いいね。ビューティフルだ。ちなみに、全てのコンテストを制覇して、集めたリボンは実に二十個。俺も制覇してるとは言えど、やっぱりすごいね。ああ、そのリボンはお前にやるよ」
 十年以上かかってようやく手元に届いたのに、手放してもいいのかと訊ねると、笑ってみせる。
「あのオブジェを譲ったときに吹っ切れたんだよ。これ以上過去を引きずっても仕方ないし、今更だ」
 それに、自分のはもうあるからね、と言う彼に、ひよ、とアチャモはまた鳴いた。
「ああ、もしかしたら、お前はあの子に似ているってのもあるかな」
 突然の言葉に、面食らう。自分が、あの少女に似ている?
「雰囲気が似てるというか。だからバイトに採用したのかもしれない。……あ、そうだ、コンテストに出てみないか?」
 デスクの引き出しから、書類を引っ張り出してくると、僕の前にばさばさと置いた。そこには、推薦だの何だのという単語が並んでいる。
「全部門を制覇すると、参加者を推薦できるようになるっていう制度があってね。あまり知られてないけど、コンテストに出場するときの手続きが結構飛ばせるから便利なんだよ」
 今まで興味も持たなかった、コンテストの世界。どうしようかと迷いながら腕の中のアチャモを見ると、きらきらと目を輝かせ、こちらを見つめていた。
「……やってみたいです」
「そう言うと思ったよ。じゃ、少し急で悪いんだけど、これ」
 手渡されたのはシンオウ行きのチケット。ホウエンのコンテストではなく、何故シンオウなのだろうか。
「ちょうどキャンペーンをやっててね、コンテスト委員会からチケットが送られてきたんだ。俺も行きたいのはやまやまなんだけど、店もあるしな。……というわけで、頑張ってこいよ」
 呆気にとられる自分の代わりに、腕の中のひよこが元気よく返事をした。いや、あの、まだ行くって言ってないんだけど。
「俺に、シンオウのコンテストリボンを全部見せてくれよな」
 それってつまり、全部門制覇しなければならないということじゃないか。何年かかるかもわからない、と言うと、店長は自分が生きているうちでいいと笑った。

 そうして、僕らは何年もかけて、シンオウのコンテストに挑戦することになる。しかしそれは、また別の機会に。

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