●ポケモン被り
闘争の祭典。三文新聞がこの場をそう銘打っていたなとカサイツキジは思い出す。
言いえて妙だ。
この場所、ポケモンリーグではあらゆる闘争を見ることができる。
ポケモンバトルは言うに及ばず、高揚した空気は惚れた腫れたの恋の鞘当てが起こりやすいし、放送権を巡った民法の血なまぐさい争いなんてものもある。
さて、そんな闘争の一つに飲食店の売り上げ競争なんてのもある。人が集まるならば、食いものが売れる。少しでも儲けたいし、テレビに取材されれば、ポケモンリーグが終わった後でも客足が期待できる、かもしれない。
そんな売り上げ競争は、最終予選が終わり、決勝トーナメントの組み合わせが決まった今日が天王山だ。なぜなら、日程の都合上、組み合わせが決まり、長い長い予選が終わり、今年の覇者が決まるトーナメントまでの二日間、最大の見世物であるポケモンバトルが一時的に中断されるからという公的な要因がひとつ。
そしてもうひとつ、ふるいから落とされた者と残った者は酒の肴にもってこいという少々下世話な事情である。まったくいい気なものである。残りたくても残れなかったものたちを嘲笑する傍観者は嫌いけれど、酒の肴にぴったりだというのは確かにそのとおりである。他ならぬカサイも自分の決勝トーナメント進出を肴に居酒屋で飲もうという魂胆だったのだから細かいことは言うまい。
同じ時間、同じ場所で飲む酒の意味でさえ十人十色であるのだから、それ以上に複雑な人の感情など千差万別であり、そんな人が熱狂するポケモンリーグには億千万のドラマが生まれるのはある意味当然のことだった。ワイドショーなんかではドラマティックな展開に満ち溢れているのはむしろ、参加人数が多い予選であるだなんて言われる始末である。負けたことへの嘆きも勝ったことへの歓喜も数が違う。質も違うとはいかないところがなかなか厳しいところなのかもしれないけれど、喧騒だけは確かにある。
そう、ここでは多少の喧騒も許される。火事と喧嘩は華なのだ。
それも、
「カサイ〜〜おれはどうすればいいんだよ〜〜」
「いい大人が泣き言吐くな、気色悪い。クズが」
自分に迷惑がかからなければの話ではあるけれど。
面倒にそう思いながら、カサイはボックス席の向かいに見つめる。酷い対応からも分かる通り、カサイは不愉快だった。なぜなら、自分へのご褒美にしようと思った酒盛りは目の前の男の闖入によってぶち壊されたためである。
クズ呼ばわりされた男は人好きのする顔であり、酔っ払い特有の締まりのない顔をしていても、それなりに絵になっていた。並んで座る二人を見ていると、どうしようもなくこの世の不公平というものに対して思いを馳せたくなる、そんな組み合わせだった。
容姿が対照的ともいえる二人はお互いをよく知ったトレーナーだった。二人ともが三十路近くになってもみっともなく――自覚はある――旅人を続けている数少ない人間だった。お互いに旅の歴史も長く、クズと呼ばれた男、シライユキトは十五年、カサイは十一年。
その長い旅の中で知り合った貴重な知り合いである。失うには惜しい繋がりではある。しかし、何でも許容できるわけではない。女の愚痴でさえ鬱陶しいのだ、野郎の泣き言なんぞ”はかいこうせん”を放っても許されると思う。注文した料理が来る前だったらならば、遠慮なく食らわせたのに。仕事が早い居酒屋のネギマを食いながら、思う。美味い。不味かったら、即刻店を出られたのに。そんな具合でさっきから一つ一つ胸の内で悪態をつきながら、愚痴に付き合わされていた。愚痴の相手が知り合いじゃなければ、”げきりん”を食らわせているところである。
こういう鬱陶しい騒がしさも喧騒の内に入るのだろうか。
いや、これは喧騒というには湿っぽすぎるか。ならば、これはなんと呼ぶべきか。不愉快なことに変わりないから、呼び名はいらないか。
「ほんと、お前クズだよな」
知り合いじゃなければ、喧嘩ものの言葉である。いや、知り合いであっても、こうしてお互いに旨い食いものとアルコールが入っていなければ、同じ有様か。この居酒屋に感謝感謝というところか。そう思ってから、美味くなければ、そもそもこの店から飛び出せたのだからそれもどうだろうかと思う。アルコールが回り始めた頭ではまともな思考など臨めるわけもない。
いや、素面であったとしても、まともな思考回路など自分の中に存在などするわけがない。
もし、そんなものがあるならば、ここにはいるわけがない。
十年を超える旅の中で、本選に出場できたのは今回で三回目。その本選で一度勝てるか勝てないか。
それがカサイの十一年の結果だった。
バトルをする理由にポケモンマスターになるためと言う元気はもうなかった。かといって諦めることはできず、ずるずると来てしまっただけ。ろくな結果を出せてもいないのに、人生の半分以上を旅に費やしてしまった酔狂な人間たちだ。そのぐらいしか自分たちを評することができない。
いや、酔狂と評さなくてもいいぐらいの結果は出せている、のだろうか。
八つあるバッジのフルコンプリートを成し遂げ、その先に待つ四つの予選を勝ち抜き、決勝トーナメントに進んだ三十二人の中に入ったのだ。弱いはずがない。むしろ強いはずだ。
はず、という言葉を使ってしまう時点で二流の証左なのだろうけれど。
当たり前すぎる事実が思い上がった気持ちを叩き落とすようだった。カサイは舌打ちする。胸糞悪い。油断するなというぼやけた理性の発露かもしれないが、今日ぐらいは、予選突破が決定した日ぐらいはいいではないか。
まったく……と溜息を吐くと、テーブルの端に追いやった紙束が視界に入る。もしかして、今自分は初めてビールを飲んだときの顔をしているのではないだろうか。
自分がこうして絡まれている最たる原因である紙束は新聞である。ポケモンリーグが開かれている時期、開催地であるサイユウシティを構成する全ての情報が書かれており、半日に一度号外が出される始末である。そして、今カサイたちが持っている新聞の一面を飾るのは決勝トーナメント出場選手の話題だった。
そこには、出場トレーナーのパーティが載っている。それこそが問題だった。
つまるところ、
「なんで完全にかぶってるパーティと初戦なんだよぉ」
そういうことである。決勝トーナメントの初戦、ユキトとその対戦相手のパーティが六匹全部同じなのである。流石に技構成までは載っていないから分からないが、もしかしたら覚えさせている技まで一緒かもしれない。
「バンギラス、ドリュウズ、ガブリアス、キノガッサ、ハッサム、ウルガモス……KP合計が二百越えするようなパーティ使ってるくせに、その程度でごちゃごちゃうるせぇよ」
KPとは被りポイントの略であり、大会内でどれだけ同じポケモンが使われているのかを計測し、被った数を数値化したもののことである。ポケモンの流行を数値化したようなものであり、このKPの合計数が高いほど流行っているポケモンを使っているトレーナーということである。
今回のポケモンリーグにおけるパーティ合計KPの参加者平均は百七十だったということを踏まえるとユキトがどれだけ人気のポケモンを使っているかがわかるというものである。特にキノガッサ、ハッサム、ドリュウズは単体でのKPが上位三位を占める人気ポケモンなのである。引く手数多のひっぱりだこ。トップメタともいえる存在である。他のポケモンも入手難易度と育て上げるまでの苦労があるだけで人気のポケモンである。カサイに言わせれば、被らない方がどうかしてるというものだ。余談だが、そんなことを思うカサイ自身のKPは八十に届くか届かないといったところである。マイナーと呼ばれるポケモンたちを採用しているからだ。
いや、まぁしかし、KPの高いポケモンたちを使っていたとしても、六匹全部被りのミラーマッチとは珍しすぎるとは思うけれど。
「おまえはまず被らないからいいだろうけどな、同じやつと戦うときほどやりづらいことはないぜ」
「へぇ……」
そうなのだろうか。確かにカサイのパーティではミラーマッチは起こらない。これからも起こらないだろうし、むしろ自分と同じポケモンを使っている人間に興味が湧く性分である。少なくともユキトのように延々と愚痴ることはなかっただろう。
「ただでさえ、対策されているのに使ってる側は弱点もなにもかもわかってるからな」
流行っているポケモンを採用したからといって勝てるわけじゃない。強くなればそれだけ対策をされてしまうからだ。そういう風に強いポケモンが常に勝てるわけじゃない。そこがポケモンバトルの面白いところではあるけれど、使う側からすればたまったものではないのだろう。
それでも、な。
「何度だって言ってやるよ。くだらねーよ」
そう言ってジョッキを煽る。きつけだ。心の助走とも言える。素面では躊躇ってしまう言葉を言うためにアルコールを流し込む。
マイナーなポケモンたちを使うカサイにはミラーマッチの経験がない。しかし、ユキトの苦悩は分かる。無頼と呼ばれる旅人たちでも空気が読めないわけじゃない。ただ読んでいても面白くないだけだ。
「まったく同じポケモンを使ったところで覚えさせている技が違えば、使う人間が違えば、パーティの中身はそら違うだろうさ」
同じうだつが上がらないもの同士だ。こうやって荒れている理由ぐらいは察することはできる。
「お前の言ってる立ち回りの違いってのはそういうところから来るって言うのも、まぁ正しいわな」
あるいはもっと優しく言うべきなのかもしれない。そっとしておくのがいいのかもしれない。
僅かに残った理性がそんなことを考えさせる。しかし、歯止めが効かなくなった苛立ちの前に、そんな良心は小石ほどの障害にもならなかった。
「愚痴るのはいい。嘆くのだって。でもな、そんなこと言ってたって変わらないんだよ」
トーナメント表は変わらない。本番は明後日に迫っている。ミラーマッチは避けられない。
「気にしたところで始まらないじゃないか」
「それと、気にならないかはまた別の話じゃないか。諦めるしかないのと関係ないってのは別のことだ。これはもう感情の問題だよ」
「その感情に付き合わされるこっちの身にもなってくれよ」
「いいじゃねぇか。こんな日なんだ。センチメンタルにもなるだろうが」
「ナイーブな男なんて気持ち悪い」
そう言って、カサイはさらに酒を注文する。
本当に強いのならば、こんなことを語ることもないのだろう。
そんな思考を押し流すためにアルコールがもっと必要だった。
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