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初版公開:2012年11月11日 差し替え(第二版):2012年12月4日


●砂漠の神の子

 子供の頃、10個年上、兄弟の仲で一番上の姉が地下水道の中へと入っていったのを、おぼろげに見送っていた。姉は、『神に自分を見てもらういい機会だ』と言って、漠然とした恐怖を誤魔化すように暗い井戸の中へと向っていったのを覚えている。
 その日、神の子候補となる子供達には、それはもう豪華な食事が振舞われていた。普段は家畜として、畑を耕す手助けをしてくれるバッフロンやイワパレスの中でも、年老いたお爺ちゃんお婆ちゃんの年齢の子がこの日のために解体されて、料理となって神の子候補達に振る舞われるのだ。
 年老いた超獣の肉だけに、行商人や街へ勉強のために寮へ入った子供達が自慢げに話してくれるようなやわらかくて美味しい肉ではなく、臭みが強かったり固い肉だったりするらしいけれど、私達にとってはそれでも絶品だ。
 それに、たくさんのスパイスを加えて、トウモロコシを石灰水につけて粉にしてこねて伸ばして焼いてクレープ状にしたもの、トルティーヤ包んで食べる。美味しくないわけがない。
 もちろん、美味しく楽しめるのは肉だけじゃない。その時のトルティーヤには、普段はとても目にすることが出来ないような砂糖が使われていた。その砂糖を琥珀色になるまで熱して溶かした物を固めて包んで食べたり、付け合せのスープだっていつもより贅沢に塩が入れられ、浮かぶ豆も野菜もいつもの何倍も量が多くて、お皿の底が見えないくらいだそうで。
 当時の私は、母親が準備していたその食料だけを見て、私も神様に会いに行くから一杯食べたいと駄々をこねたものだ。そんな事を言うと、姉は困った顔をして『あのねぇ、ミモザ……出来ることなら、貴方に代わって欲しいくらいだよ』と言う。当時の私は、食い気ばっかりだからわからなかったけれど……確かに、怖いのだ。今思えば。

 この村には神がいた。姿は神の子以外誰も見たことがないけれど、地下水道の暗闇の奥に、神は確かに存在する。
 神は、この村に起きる災厄を予知してくれる。私が生まれるずっと前の話だが、神は疫病が流行る前に薬を作れと神の子に命じたことがあるという。死者を体が弱い子供やお年寄りの数人だけで済ませることが出来た。他の村でも同じ病気が流行った時は、その何倍もの人たちが死んだと伝えられている。
 また、神は雨乞いもたしなまれる。夜、神の子に分厚い布のドレスを纏わせ雨乞いをさせると、その数ヶ月一滴も涙を落とさなかった空が大いに泣いたという。
 しかし、神はその御姿を現すことはなく、神の言葉は常に神の子が代弁し、村人がする神への祈りは常に神の子が地下水路に届ける決まりであり、そのため神の御姿を見られるのは神の子だけ。
 ただ、神の子の候補として地下水路の中に赴いた人たちからの噂によれば、神は暗闇の中、行商人が見せびらかしてくるエメラルドよりも明るく輝く翠色の目をしているのだという。火打ち石を懐に忍ばせていた男の子と一緒に地下にもぐっていた為に一瞬だけ見えたのだと、村のおばあさんは語っていた。
 その子は数日家に閉じ込められて反省させられたそうだ。その子の顛末には興味はなかったのだが、おばあさんは神はとても澄んだ綺麗な目だったと付け加えていたので、かつての私は神の目というのを見てみたいと思ったものだ。
 幼い頃に神にまつわる出来事で聞いたのは食欲を刺激するような甘い言葉や、尊敬できるような神の所業と外見である。だから、早く成長して神の子になってみたいと、私は無邪気にそう思っていた。

 神の子になる事を怖いと思ったきっかけは、近所に住んでいた年上の男性に、神の子をやっていたときの体験談を根掘り葉掘り聞いてやろうと思っていた時の事だ。
 お兄さんは『神の子だった時のことはよく覚えていない』の一点張りで……けれど、神の子であった頃に学んだのであろう知識は、一応覚えているというのがまた不可解であった。そして15になれば許婚と婚姻をかわすはずの彼は、12の年で神の子に選ばれてしまったおかげで17まで女性も、その体の仕組みも知らなかったが、いつしか女性と契りを交わす方法を学んだかのように知っていたのだ。
 私は今14歳で……きちんと許婚がいるから、当然のように母親からその方法を教えられている。しかし、ほとんど1人きりで井戸や神の子の家に篭っているはずの彼が、どのように方法を学んだのやら。私には見当もつかない……いや、神の子が過ごす家にある本を読んでいるのだろうか? 案外街まで行けばそんな本があるのかもしれない。
 だが、それに関連する疑問として、そもそも本を読めるような勉強をしていないはずの子が大半だというのに、神の子は全員、神の子の任を受け継いだその日から文字を読めるようになる。その奇跡こそ、神の子が仕えている者が『神』である所以なのだと言えば、確かにそうかもしれない。それを神聖視することが尊いことであり、怖がる私は異端なのかもしれない。

 5年ごとに行われる、神の子の継承の儀式。前回行われた時9歳だった私は、今年14歳になって、候補の中では最年長での参加となる。候補となるのは体が丈夫な十数人の子供達で、私も体が丈夫に育ったために、弟と一緒に参加をすることになる。
 そりゃ、美味しい料理は食べたいし、神様にあってみたいし、もしも神の子になれるのであれば、文字が読めることになるのを始め、あらゆることが非常に貴重な体験だということはわかっている。だけれど、漠然とした不安や恐怖というものが私の胸中で渦巻いている。自分が知らないはずのことを知ってしまうこと……そして、神の子がその役を終える際には、逆に知っているはずのことを忘れてしまう。
 なんというか、気持ち悪い。神の子であった頃の記憶はどんな風に抜け落ちていくのか? 文字を読めるようになる知識は、どうやって得るのか? 自分じゃない他人が、自分の中に入って動かしてゆくようで……そう、悪霊のように。
 この砂漠には、人の体を乗っ取って悪さをしたり、その人に成り代わって生活をする悪霊がいるとされている。子供の頃は、『悪い事をしている子は、悪霊払いのために虫を体に這わせるぞ』と、母親に散々脅かされたものだ。その当時は虫が体中を這いずり回ることを想像して気持ち悪がっていたが、今は……自分の中に悪霊が入り込んで、勝手に悪さをするということのほうがよっぽど気持ち悪いと思うようになっていた。もちろん、虫が這うのも嫌だけれど。
 無論、神は悪霊と違って悪さをしないから、祓う必要はないだろう。けれど、自分の中に入り込んであれやこれやとやるのだとしたら……言いようのない気味の悪さで背筋がぞっとするのだ。

「うーん……そんなに怖がることはないと思うけれどなぁ……」
 豆の畑で一緒に農作業をしている弟は、私の意見に対してはあまり賛同しようという様子ではないようだ。
「そうかなぁ? 私、なんというか不安なのよね……自分が、自分じゃなくなるような……いや、さ。昔神の子だった人は、神の子をやめると別人になるわけでもないし、かといって子供のままというわけでもないし……年相応か、それよりちょっと上くらいに成長して帰ってくるし。本当に、神の子になるっていうのは何てことないのかもしれないけれどさ……」
 頭にかぶったした、顔以外を覆う布をつまみ、額に浮かぶ汗を拭いながら私は言う。
「そうだよ、問題ないじゃん、姉さん……考えすぎだって……」
 いや、弟は大事なことに気付いていない。
「でも、神の子はずっと1人で神の子の家や井戸に篭っているんだよ? 人付き合いとかも経験するわけじゃないのに、大人になるだなんて……神と話しているだなんてつまらないことは言わないでよ? 神と人間との付き合いは、きっとぜんぜん違うものだと思うし……だから、人間付き合いが大人になるというのはどうもね……」
 薄布越しに家族と話すことも出来るから、寂しいとはいえ胸が張り裂けるほどではないが……けど、寂しくはなくともそれに対して文句の1つも言わずに耐えてしまう事だって、不可解だ。神の子になってしまえば、家族と直接顔を合わせることがなくとも大丈夫ということなのだろうか?
「あー、そういえば……」
 どこか、弟は抜けている。もう少し、突っ込んだ所まで考えて欲しいものだ。
「でも、確かに不思議だけれどやっぱり別に悪いことじゃないし……」
 それに、なんというか論点も違っている。いや、私とは感性が違うのか。
「貴方ねえ……貴方がもし、朝起きたら文字が読めるようになっていたらどう思うのかしら?」
「んー……驚くけれど、得したと思って喜ぶかなぁ?」
 どうやら、弟は気味が悪いという感覚もないらしい。能天気というかなんというか……私が神経質なだけなのかもしれないけれど……私と違って、料理を振る舞われるのが楽しみで仕方がない風なのが憎たらしい。私も、これくらいお気楽ならな……と思わずにはいられない。
 そもそも、神はどのような基準で神の子を選ぶのだろうか? そもそも選ばれなければこんなことを考える必要もないのだけれど、逆に選ばれないようにするのはどうすれば良いのか……とっても不敬なことだとは分かっていても、それが知りたいくらいだ。

 ふと、私は農作業中の畑を見る。神は、年によって育てる作物すら指定してくる。トウモロコシは主食なだけあっていつでも多めだが、雑穀を多めにすることもあれば、豆を多めにすることもある。洪水や旱魃に合わせて育てるべき作物を、結果を見れば間違うことなく指定するのだから、神は偉大である。
 それと、この村ではバッフロンの糞を建材や燃料として使っているのだが、わずかながらに畑に梳きこむ事を始めたのも、神のお告げによるものなのだとか。かつては料理と言えば炎を裸のままにしていたのだが、現在は土を捏ねて炎を囲うことで料理に使う燃料を節約し出来ている、このおかげで、バッフロンの糞を暖房に。ひいては肥料に回せるようになったらしい。
 ダルマッカやヒヒダルマの糞は昔から発酵熱を暖房として利用し、使用済みのそれを畑に撒いたりもしたが、バッフロンの糞はヒヒダルマたちとは違った影響を畑に与えるので、作物の育ちも良くなったのだとか。
 そして、超獣の骨が肥料になる事を教えてくれたのも神。それまで一箇所に集めて埋葬していた骨も、今では砕いて畑に撒いている。骨のないイワパレスではこれが出来ないから、餌を食べさせるのが大変なバッフロンを家畜として利用する意義が増えたことになる。
 そのほかにも、たくさんの知識を教えてくれた。人の頭ほどの大きな岩を畑に置くことで少ない水を効率的に使う方法も、傾斜地にくぼみを作って水分を溜める方法も、全部神から授かった知識だ。
 村を大きくしすぎないようにと言う言いつけを守り続ける、砂漠にぽつんと浮かんだ小さな村だけれど、同じような立場であるほかの村よりもずっと豊かであると自負できるのは、やっぱり神様のおかげなのだ。
 神様、神様……私は、罪深い人なのでしょうか?

 そして、その日がやってくる。10歳から14歳の子供達が13人ほど集められ、私は14歳……12歳の弟と一緒に、神の子候補として選別会への参加である。子供達は、この日のためのこしらえたたくさんの美味しい料理が振る舞われる。集会所にある日干しレンガで造った釜戸に、各過程から持ち寄った鍋を並べ、燃料の乾燥牛糞をくべるのだ。
 料理は神の子候補の母親達が作る。もちろん私の母親もその調理に参加しており、振る舞われた料理は多分生きていた中で一番美味しかったと思う。よく熟れたトマトに、細かく刻まれた肉や豆を突っ込み、スパイスを利かせたソースをトルティーヤで包んで食べるのだが、いつもよりも濃いスパイスの香りが、いい具合に食欲を掻き立ててくれる。
 程よい酸味、上品に鼻を通り抜ける香り、鼻を踏み荒らしていくようなコショウの荒々しい香り。スパイスは舌の上に火を灯すが、程よく収まってくれる絶妙な加減。飲み込んで見れば、のど越しから胃の中に納まる感覚まで、非の打ち所がない。食欲を掻き立てる香りが上質すぎるせいか、食べる前よりもお腹がすいてしまった気分だ。

 今回は料理の中に、サボテンのステーキに、豆を発酵させた調味料をたっぷりと塗りつけたものがあり、そのあまりの美味しさには感動した。切り分けられたサボテンの香りが、とても強く香り立っているのだ。右手で豪快に掴んで口に含めば、噛むごとに溢れるねばねばとした粘液に、上手い具合に調味料が絡み合ってくれる。
 混ざり合ったほのかな苦味と塩味を、発酵した豆の香りで2つの味が引き立てていて、後味にもしっかりと余韻を残す口の中の粘々が心地よかった。あの調味料は大きな街から仕入れてきたものだというが、なるほど……街に出稼ぎに行った人たちがあそこの料理は美味しいと口をそろえて言うのもよくわかる。
 そして、お待ちかね。あの砂糖をたっぷりまぶしたトルティーヤも、姉の時と同じく振る舞われた。溶かした砂糖はぱりぱりと固まっていて、舐めてよし、噛み砕いてよし、口の中で唾液と混ぜて揺らしてよし。飲み込む時に鼻と舌の付け根で感じる甘い感触は、時が止まってしまえばいいと思うほどの至福だった。

 でも、本日のメインイベントはそこではない。その先にある、神の子を神が選ぶ儀式がメインイベントである。このメインイベントでは、集められた子供達が卸したての衣服をまとって井戸の奥、地下水路へと繰り出す。
 せっかく赤や青など鮮やかな原色を存分に使用した新品の衣服も、ここを歩けば壁に擦れたり天井から砂が降ってきたりですぐに汚れてしまうし、そもそも暗闇過ぎて裸になっても誰もわからないのだが。今年で18になる当代の神の子の男性が、キマワリ油を利用したランプを手に、地下水路を先導する。おぼつかない足元を、ほとんど手探りで抜けていったその先に広い空間があった。広いと言っても、円形の室内に大人が手を広げて4人並べるくらいだろうか? 反対側には、もう1つの入り口なのだろうか、壁が片手でどけられそうな木の板のようなもので塞がれている。

 明らかに、人ではない何かの匂い。しかして、イワパレスやバッフロンの匂いとも違う……ヒヒダルマでもない。この匂いはなんだろうか? そんな疑問をよそに、ここまで案内をしてくれた神の子は、この空間に続く入り口を木の板のようなもので塞ぎ、ランプの火を吹き消した。あたりは自分の手の平すら見えない漆黒の闇。反響する足音、呼吸音だけが自分達の存在の証だった。
「ようこそ、神の部屋へ……神の子候補の皆さん」
 神の子の声が小さな空間に何度も何度も反響する。
「今日は、皆様のうち、誰か1人を神の子として選ぶべく、集まっていただきました……振る舞われた料理はお口に合いましたでしょうか?」
 神の子が尋ねると、ちらりほらりと上がる『あいました』の声。神の子は笑っていた。
「ふふふ、神は言葉にせずとも、あなた方の考えは読み取っておられます。ゆえに、そう……皆さんが、お食事をとても楽しんだことは、私にも伝わってきましたよ」
 やっぱり、というべきか……神には嘘は通じないようだ。心の中を見透かされるのは少し怖い。もしかしたらはったりで言っているだけなのかもしれないけれど、それでも怖いものは怖い。
「1人、不安な方もいるようですね……」
 反響してよくわからなかったが、私のほうを向いて喋ったのだろうか? すごく……とても大きく体が震え、背筋に悪寒が走った。
「大丈夫ですよ。神は貴方達に危害を加えることは在りませんし、神の子に選ばれたとしても、貴方が貴方でなくなるわけではありませんよ」
 私は声が出なかった。あまりにも、私の思考を見透かすような発言に、何かを言い返す気になれなかった。
「まだ落ち着けていないようですが……あまり、時間を取られていても仕方がありませんので、説明をいたしましょう」
 あくまで落ち着いた声で、当代の神の子は語り始める。
「先程も申しましたとおり、神は貴方達の心の中を覗く術を持っておられます。そのため、言葉で語る必要はありません……今から私が、皆さん1人1人に問いかけますので、その時あなた方は心にその質問の答えを思い浮かべるだけで大丈夫です」
 声を出さなくて良い……それは、とてもありがたいことだけれど、逆に言えばそれは嘘が付けないということ。そういうところは、やっぱり神様はすごいと思う反面、ちょっと怖いとも思う。

「では、順番に指定しますので、まずは皆さん……神の導きに従い、部屋の周りに座ってください。立ち上がって適当に歩けば、きっと誰にもぶつかることなく歩くことが出来ます。
 さぁ、まずは立ち上がって……ゆっくりとその場で回ってください。左回りでも右回りでも構いません、そう、ゆっくり……」
 子供をあやすような声で、神の子の声が室内に響く。気付けば、湿った土の匂いしかしなかったここは、少しずつ香木の匂いに満たされてきている気がする。炙らなくとも香る木の香り……イワパレスとかが嫌う匂いではあるが、人間達にはとても心地よい匂いがする。
 私が見たことのない、森林の匂いらしい。家も土の匂いがするけれど、ここは空気が篭っている分、家よりもよっぽど土の匂いがしたから、むせ返るくらいの土の香りがしないのはありがたい。
「さぁ、回るのは終わりです」
 思わず深呼吸をしながら回っていると、神の子からの声がした。
「前方に手をかざしながら。壁まで歩いてください……」
 それは、にわかには信じがたい光景であった。いや、光景と言っても何も見えないのだけれど、本当に誰ともぶつからないで壁までたどりつけてしまった。周囲は、狭いとは言わないけれど、13人が誰ともぶつからないというのは結構珍しいことなんじゃないかと思う。 
 これも神の力だとしたら、一体神というのはどれほど万能なのであろうか。
「準備も出来たみたいですね。それでは皆さん、ゆっくりと腰を下ろして……そう。そのまま、前を見ていてください……何も見えないでしょう? 目を開けているのかどうかすら分からない。でも、ずっと前を見ていてください……すると、ぼんやりと光のようなものが見えてくるような気がします。息を吐いて……吸って、吐いて……そうやって、いつでも眠れるくらいに落ち着いてみれば、きっと見えるようになります」
 目を開けているのがつらいというか……どちらかというと眠くなりそうな気がする。こんな何もない暗闇を見つめていても、退屈で仕方がないわけだし……でも、そんな事を思っていたら、本当に目の前に光があるような気がしてきた。水面に反射した太陽の光を目に入れてしまったりして目がくらんでしまった時の、目の裏に青や緑の雲が残っているような……そんな感じの光だったけれど、なんだかずっと見つめていても不快じゃないような。
「そうですよ。皆さん、このときの光を良く覚えていて……この光を覚えていれば、同じ光を見たときに今のようにとてもリラックスできるはずです。そう、いつでも眠れるくらいにね」
 なんだか、少し眠くなってきたような……けれど、不思議と意識は途絶えないまま、神の子は今一度同じ台詞を繰り返す。2回目の言葉が終わるころ、神の子は一度咳払いをした。
「では、そろそろ始めましょう……まずは君から」
 その光に見とれている間に、神の子は次のステップに進める。

「君が今まで生きていた中で、一番楽しいと思ったことを聞かせてはくれないか?」
 恐ろしいくらいに誰も喋らなかった。話しかけられた子供も何も語ることなく、頭の中に楽しいと思ったことを思い浮かべているのだろうか?
 私は……そう。行商人が連れてきた異国の超獣バクーダと、イワパレスで競争をさせてもらったことが一番楽しかった記憶がある。あの時は、イワパレスが殻を脱いで走ったことで、ものすごく差がついてしまって申し訳なくなったものだ。
 他にも……神への感謝をささげるカイス割りの儀式は面白かった。貴重な水分源であるカイスの実を、目隠しして棒で割るあの儀式は、とても楽しかった。上手く当てることは出来なかったけれど、みんなで盛り上がったあの時間は忘れられない。
 目隠しでもきちんとカイスの実に当てることが出来た子は、神の子でなくともここに奉納のために訪れることが出来るのだとか。なんでも、目隠ししても大丈夫ならば暗闇でも大丈夫だろうという理由だそうだけれど、今思えば子供のための娯楽というのが一番の理由な気がした。
 左回りに順番が回ってきた時は、私もそれを思い浮かべた。考えが纏まって、今か今かと待ち構えていたところで順番が回ってきたので、私はそれに合わせて纏めた考えを反芻する。神の子は私の回想に満足すると、右隣の子へと順番を回してゆく。本当に、分かっているのかどうかは神のみぞ知ると言ったところだけれど……本当のところはどうなんだろう?

 次の質問は『生きていた中でうらやましいこと』。いや、それはもう学校に行って勉強できるという環境そのものだ。この村では商店街で働いている人や、行商の宿を提供している人くらいしか豊かな生活は許されておらず(それでもこの村は豊かなほうだが)、そういう人は街に子供を出して勉強させている。そして、そういう人たちが街の料理は美味しいと自慢をしてくるのだから、うらやましい他ない。
 考えているうちに私の番が来て、たった今考えていたことを神へ念じる。

 『生きていた中で一番悲しかったことや辛かったこと、怒ったことなど……』それはもちろん、バッタの大群だ。数キロメートル先にある川までわざわざ赴いて、一時的な増水の影響で草場になりかけていた土を掘り返した。増えすぎて悪魔色となったバッタの幼虫が生まれる前に、掘り起こして卵を乾燥させることで、バッタを殺すのだと言う。草自体も生えないように、バッフロンたちに食べてもらったり、餌となる草を引き抜いて干草を作ったり。
 そして、掘り返した土はイワパレスやバッフロンに籠を引かせて持ち帰り、畑にまけば作物が良く育つとも言われたのだが……畑でもない草場を耕すあの労働の辛さは今でも忘れられない。
 月が一巡する前に、予言どおり悪魔色の幼虫が孵ってきたときは村人たちで慌てて叩き潰して、イワパレスやヒヒダルマに食べてもらった事もよく覚えている。周辺の村にも同じ作業を頼んでいなかったら、そこから発生した悪魔色のバッタがそのうち何十倍にも膨れ上がって周囲に壊滅的な被害を出したことだろう。実際、遥か昔の話ではあるが、別の所で大発生した群れが村を襲ったときは、何人もの餓死者が出たらしい。
 もう記憶が怪しい老人達の話によれば、その大発生の前の年、神のお告げにより行商人への商品の売買を極限まで押さえ、服も鉄器も買わずに食料を溜め込んでいたおかげで、周辺と比べて極端に餓死者が少なかったほうだというのだから驚きだ。神は、何から何まで神の責務を果たしていたという老人のお話を今でも覚えている。
 考え始めて間もない頃から順番が来たので、私は慌てて考えていた。

『神の子になりたいですか?』
 そして、ほとんど間髪いれずにそんな質問。興味はあるけれど、ちょっと怖かった……理由は、もはや考えるまでもない。

 質問があらかた終わるまで、そう時間はかからなかった。いや、計ったわけではないし、太陽どころか手元も何も見えないこの場所では時間を計ることなんてできないのだけれど、誰も尿意を催したりしていないところを見ると、それほど短い時間だったことが伺える。
 しかし、静かだ。心臓の音まで聞こえそうなくらい……
「では、今残っている貴方、立って下さい」
 ……え?
「……お気づきになりませんでしたか? 貴方以外の方には、すでにこの一室を出て行ってもらっています。まぁ、催眠光を見せて、貴方の思考を麻痺させたのが原因だとは思いますが……質問するごとに、いくらか退出していただいていたのですよ」
 なにそれ、と口にしようと思ったのだが、声が出なかった。
「そして、貴方以外には退出していただきました……つまり、貴方が神の子に選ばれました……『どうして』、とお聞きになることでしょうから答えさせていただくと……いろんなことに、興味を持ったり疑問を持ったり。そういったことを出来るような者にしか、神の子は任せられないと。そういった理由があるのですよ」
 疑問を持つ……確かに、神の子になるということが怖いと思ったり、気持ち悪いと思ったりしたこともあるけれど……。
「そうですよ。そういった思考が大事なのです。私も、そうやって選ばれました……怖いと思っていた。分からないことは怖いとね……しかし、分からないからこそ、知ってみると面白い。そういうものですよ」
 いや、怖いよ。
「そんな事を言ったら、ますます……私と同じ思いをさせたくなりますよ。私も、貴方ほどではありませんが、少し怖がっていたのを覚えていますし、私の先々代の記憶を思い起こせば、貴方の姉さんも同じことを考えておりましたね。その時は、貴方の姉以上に考えている人がいたから、貴方の姉さんは選ばれませんでしたが」
 なんで、姉の代の後に神の子になった貴方が、その事を知っているのよ!? 確かに、姉も『変わって欲しいくらいよ』って言っていたけれど……
「神の子になるというのは……神の子の記憶を貰うということ。私が、私の前の神の子が、その前の神の子がもっと前の神の子が……思い、考え、予想し、体験し、読み漁り、聞き及んだこと。そういったあらゆる記憶を、貴方の中に流し込むのです。
 それが神の子になるということ」
 なによそれ……? そんな事をされたら、私は私じゃなくなっちゃうじゃない!
「いいや、貴方があなたでなくなるのであれば、神は神の子を選ぶ際に、どんな適当な子を選んでも代わりがないことになる。貴方が、あなたであるからこそ、神は神の子を選ばれるのだ」
 違う……私が言いたいのはそこじゃなくって……私に神の子が加えられたら、それは『私』ではなく、『私と神の子』になっちゃうじゃない……
「かもしれないね。でも、貴方は消えないよ」
 嫌……逃げ出したい、のに。私の体は動かない。
「さぁ、神様。こちらへ……」
 私の体が、金縛りにあったように動けなくなった状態で、私達のいる空間が不意に少しずつ明るくなる。部屋のところどころに蛍のような白い光が浮かんだかと思うと、目に映るのはエメラルドのように輝く翠色の瞳を持った茶色い頭でっかちと、その幼生のような灰色の頭でっかちが何人(何柱?)もいた。どちらも手には赤と黄色と緑の発光する部位があり、それが音を立てて光を流すと……なぜか、その信号の意味が、分かる。

――ようこそ、神の子よ
 初めて見たはずの信号でようこそとか言われても……私はどうすれば?
――これより、継承の儀式を行う。
 継承? 一番威圧感のある……おそらく、頭の中に響くこの声の主であろう個体の言葉に、私は首を傾げる。
――歴代の神のこの記憶を、すべてお前の中に流し込む……思い、考え、予想し、体験し、読み漁り、聞き及んだことそのすべてがお前の糧となり、またわれらの予言と合わせて、成すべき事を決めるのだ。
 そんな……そんな事私には無理よ。
――出来るさ。貴方は、数百年分の体験を、今からするのだから。
「さぁ、目を開けて……この光を見てください」
 室内が暗闇に戻り、目の前に、光。あの、まぶしいものを見たときに、目の裏に浮かぶ青や緑の雲のような光。
「そう、この光を見れば、先程のようにとてもリラックスできるはずです。そう、いつでも眠れるくらいに……」
 いつでも、眠れる……
「リラックスしてもらわないと、記憶の移植作業が出来ないのですよ……ですから、今はゆっくりとお休みください」

 気が付くと、私は1人であの空間にいた。今回も、嫌がって抵抗したが、私は比較的術にかかりやすかったので、記憶の改変はとても楽だった。私の記憶を思い起こしてみると、私の生まれた時代は楽なほうだ。
 苦しいと思ったことだって、先代の神の子と同じく、悪魔色のバッタの大発生くらいしかない。もっと前の神の子の体験を思い起こせば、私の人生なんてそう辛いものでもなかった。
 それにしても……すごい感覚だ。何十人もの、15年以上の記憶が私の中に入り込んでいる。年数にしてみれば1000年以上は下らないであろう膨大で無限の思い出が、私の中に在る。他人の思い出に浸ることが出来るだなんて思いもしなくて……怖がっていたのが本当に馬鹿みたいだ。
 あぁ、それにしても快感。みんな私の中にいるのね……こうして、思い出に浸っているだけでも……無限に時間が必要なくらい。そうして思い出に浸っていることで、わかったことがある。神のお告げとされてきたものの一部は、神の子に宿る無限の経験談から導き出された、いわば発想力の賜物であったと言う事を。
 例えば、畑に石を置くことも、荒地を歩いていると岩の周りに植物が生えていることが多いという経験談から、神の子が推測したこと。それを神のお告げとして発言したのものなのだと。
 神の子となった以上私も、そういった発想を出来る限りしていかなければならないのだ。
 ひとしきり神の子としての使命を確認した私は、意識を現実に引き戻す。
「もう、先代は地上かしら?」
――ああ、今頃家族の元に戻っているはずだ。
 私が問いかけると暗闇の中に光の信号が灯った。これからは、神と話をすることも出来る、本も読める、文字を残せる、無限の思い出に浸ることが出来る。それはとても、素晴らしい日々に感じた。

 今、私は神の子に宛がわれた家にいる。静かな室内に篭りながら、書物を読み漁り、他国の農業や作物についてを調べている。外の世界で公益が盛んになるにつれ、よその土地で育つ作物というものも少しずつ入っては来ているようだが、最近はめぼしいものも特に無いようであった。
 話を聞いてみると、神はそこらへんにいる超獣とそう変わりない、1人1人では弱い者達(と言っても、他の超獣とそう変わりはないが)の集まりであった。
 だから、あの真っ暗な地下水路で普段を過ごし、時折月の光を浴びながら、お供えされた食料を神の子と共に持ち帰っては食べている。畑に近づく不届きな超獣を倒し、その肉を地下水路に持ち帰って食べることもある。
 私達はそうやって、共生関係にありながらずっと生きてきたのだ。信頼できる人間にかくまってもらうことで生きようと、遥か昔の彼らの祖先が提案したものだ。予言を代弁する際に、神のお告げだと誤魔化すことで、いつしかその人間は神格化された。初代が老いには勝てずに息絶えようとしたところで、秘匿する意義を初代が2代目に余す所なく、記憶を受け継ぐという方法で説いた。
 彼らは自身の存在が外に漏れる事を望まないと。外部にこの秘密が漏れたのであれば、我らはこの場所を去って別の場所へ行くと。神はそのように仰られたので、それを代々神の子達だけの秘密にして、受け継いでいる。そして、その重要性は言葉で説くよりも、神の能力で記憶ごと移し変えてもらったことで、分かり易すぎるほどよく分かる。
 この村は疫病や飢饉で何度も壊滅の危機を逃れてきた。もしも、神がいなかったらその度に辛い思いをしてきたことだろう。予言があっても対策しきれずに村人達が死んでゆく光景が、私の中に生々しい記憶として……同じ出来事を違う立場で見ることで二重にも三重にもなって残っているのだ。
 そうして積み上げられた悠久の時と、無限の経験を積み重ねた神の子の知識に加えもう1つ、神の子自身が持つ考える力を持っていることが重要だ。だから、怖いとか気味悪いとか……不敬と思いつつも色々いらぬ想像を巡らせるくらいの者の方が、神の子にはふさわしいのだと、理解している自分がいた。

「もう、真っ暗ね……そろそろ良いかしら?」
 神の子となってから2年。私は皆が寝静まった時間帯まで神の子の思い出に浸る遊びをしていたが、月の昇り具合を見て頃合かと地下水路の中の神に会いに行く。神の姿を覗こうとする不届き者なんてこの村にはいないし、いたとしても神はそんな記憶くらいどうにでも消せる。
 けれど、人気のないこの時間帯が、予言には1番ちょうどいい。予言が終わった後は地下通路の続く先にある入り口のひとつから、神たちが月光浴をする。私達神の子は、予言を終えるとそのついでに入り口の安全の確認を任されるのだ。

 だけれど、月光浴だとか悠長な事を言っていられる状況じゃなくなった。
「ウルガモスを信仰する者達からの攻撃……?」
 その日、聞いた予言は衝撃的なものだった。
 ここの周辺で支配的に信仰されているウルガモスを崇拝する土着信仰の過激派が、我々の土着信仰を疎んでの凶行に及ぶのだそうだ。この村の神があまりに優れているおかげで各地で噂になっているらしいことは今までも聞いていたが、どうやらそのおかげでウルガモスへの信仰も薄れてしまっているらしい。
 こちらとしては、なるべく事が大きくなりすぎないように、『村の大きさを変えてはいけない』、『村を必要以上に発展させてはならない』という遥か昔からの予言を頑なに守ってきたのだが……そのために、子供の数まで予言で制限した位なのに……それも無駄だったのか。
 ウルガモスを信仰する者達は、私達の予言を信じて自身の信者が救われ、それによってむしろウルガモスよりも私達の『神』へ感謝をささげるようになったことが気に喰わないらしい。
 いつの間にか羨望の眼差しを集めていたこの村の神に嫉妬のような感情を抱いた末に、ウルガモスを信仰する者達は自身の神の強さのアピールのために、攻め込んでくるそうだ。

 予言を聞く限りでは、1回目の襲撃は適切な罠さえ準備しておけば恐らく簡単に撃退できる。しかし、2回目には相手も報復のために手段を選ばなくなるため、相手のすさまじい物量と火力ゆえに、この村の戦力では逃げるか死ぬかの選択肢しかないようだ。そうなれば神もまた、姿を隠しきれずに地上へ生きる定めとなるだろうと。
「だ、大丈夫ですよ……神様。街には今、モンスターボールって物が流通しているから……ネジを回すだけの操作で超獣を収納できるっていう代物らしいです。決して安くはないですが……この村にもそれを買うくらいの蓄えはありますし………きっと。それでまた、新しい場所を見つけましょうよ……?」

 後にポケモン図鑑が編集される、約50年前の出来事であった。

(14037文字)