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初版公開:2012年12月4日


●にめたるえ変を去過

 西に高く聳え立つ、白い傘を被った山が、赤く染まった淡い日を、徐々に引き裂き落としていく。
 十一月上旬の夕方は、寒さが割と感じられ、その上今日は風が強く、歩くのが少し辛かった。
 高校から帰る途中。さっさと駅まで着こうと思い、足をやや速く動かして、僕は歩くことを始めた。 そうして何歩か進んだ所で、さっきから断続的に聞こえてくる、音の変化に気が付いた。
 その音はとても小さくて、時折聞こえてくるだけで、だから気にせず無視をしていた。しかし僕が速く歩いたら、それは大きくなってきて、これは少し変だと感じた。僕は歩みを止めて、振り向いた。  するとそこには、セレビィがいた。
 あまりにも唐突。あまりにも衝撃的。いくら驚いても驚き足りず、しばらく唖然としていた。
 セレビィ。幻のポケモンの一種。時の渡る能力と渡らせる能力がある。ウバメの森に居ると言われ、森の神様として祀られている。
 そんな神と呼ばれるポケモンが、なぜ自分の眼の前にいるのだろうか。
 短い羽を動かし宙を舞っているセレビィは、周りに白い光の粒子をきらきらと漂わせつつ、自身もまた黄緑の体を光らせており、背景に佇む淡い夕焼けも相まって、実に神秘的な雰囲気を放っていた。
「いきなりすいません。あなたに頼みがあるのです」
 セレビィは僕の前で止まり、透き通った声で話しかけてきた。そして姿を消し、少ししてまた現れた。幻のポケモンを見た驚愕と、その神秘性に圧倒される気持ち。二つが奇妙に交錯していた僕は、いったん意識を落ち着かせ、とりあえず話を聞いてみた。話を纏めるとこうだった。
 他のセレビィにお願いして、過去へ行こうとしている人がいる。そしてその人は、過去を変えようとしている。しかし過去を変えると、まずいことが起こる。だから僕に、その人が過去を変えるのを、なんとか喰い止めてきてほしい。ということらしい。
 急にそんなことを言われても、という率直な感想は置いとくとして、話をまじまじと聞いていた僕は、強く疑問を感じたことがあった。それは、なぜ自分なのか、ということだ。慈善行為としてやるにしても、何か報酬を貰ってやるにしても、なぜ自分がやらなくてはいけないのか。なぜセレビィは自分に頼むのか。
「なぜ自分がやらなくてはいけないのか、ってことですよね?」
 僕の心を見透かしたのか、セレビィが先手を打ってきた。
「それに関してはですね。ちょっとあなたにとって衝撃的な理由がありまして」
 更なる衝撃を体に走らせ、寿命を縮めるのは嫌だった。しかし、聞かないと先に進まない。僕は恐る恐る教えてもらった。
 それを聞いて意味を理解した僕は、文字通り眼の前が真っ暗になった。膝をつき、全く意味不明なことを叫んだ。体の震えが永久に止まらない気がした。今度は詳しく記述したい。
 過去を変えると、その後の未来が変わる。言い換えると、「元々の未来が消滅し、違う未来と入れ替わる」。そうすると、元々の未来の、全ての生き物が消えてしまう。本来であればこうなる。しかし、セレビィより更に上の神的存在が、そうならないようにしてくれる。具体的には、「時の流れを組立て直し、過去と元々の未来を繋げてくれる」。ところがいくら神の行為でも、完全に繋げることはできず、時の流れに矛盾が生じる。そうして矛盾が生じると、一人か二人、消えてしまうことがある。そして今回消えるのが、どうやら自分という訳らしい。
「どうすればいいんですか……」
 僕は言った。声が震えていたのは、言うまでもない。
「これから過去へ行ってきて、過去を変えようとする人を、なんとか止めてほしいのです。その人が行動を開始する、ちょうど一か月前のあなたに、私は今お願いしている。と言うことはつまり、あなたが過去へ行くのは一か月後です。それまでに準備を整えて下さい」
 そこまでセレビィは話し、詳しくはまた明日話すと言った。
 セレビィと別れ、帰宅して部屋に入る。そのままベットに倒れ込み、大きく息を吐く。本来ならば今自分は、布団の中で発狂してても、おかしくはなかったし、そうなるだろうと思っていた。しかし今の自分がそうなっておらず、割と落ち着いていられるのは、実に意外なことだった。死に対する恐怖は、時間が経つことに少しづづ減ってはいた。
 死の恐怖が減ってきた変わりに、どうして僕なのだろうという思いが強くなってきた。なぜ神は僕を選んだのか。何か僕が、悪いことをしただろうか。できることならそういう役目は、犯罪者とかそういう人にしてほしい。
 というよりそもそも、過去を変えようとする人が悪いのだ。だからその人が、いなくなればいい。最終的にそう思った。

 次の日の朝早く、セレビィと会った僕は、またしても驚くべき内容を、聞かされることとなった。
 過去を変えようとしているのは、最近アデクを倒したばかりの、イッシュ地方の現在のチャンピオンらしい。遇然にもほどがあると思ったが、名前を聞く限り間違いない。
「それで、僕はどうやって止めればいいんですか?」
 僕はすぐに聞いた。
「恐らく、口で言ってなんとかなるということはないでしょう。全く見知らぬ他人が死ぬくらいで止めるくらいなら、最初から過去になんか行くわけないですから」
 そんなこともないだろうと思ったが、とりあえず話を先に聞いた。
「なのでそうですね。力づくでいってください。あなたのポケモンを使って、彼と戦ってください。そして、彼を押さえつけましょう」
 しかしながら、相手はチャンピオンだ。果たして勝てるのだろうか。ちなみに僕のポケモンは、どのくらいの強さかというと、僕のバッチが四つだということから、そのレベルの低さを察してほしい。しかも、トレーナーを引退してから、育成はほとんどやっていない。
 これは無理だろうと思った。普通に考えて、そうだろう。僕に勝ち目なんてない。
 しかし、そう思ったその直後だった。僕はひらめいた。いいことを思いついた。過去の記憶を引きずりだし、非常に常識外れなことを思いついた。これならいけるのではないか。
「分かりました。やってみます」
 僕ははっきりと言った。セレビィはお願いしますと頭を下げてきた。

 その日から、作戦を練ることが始まった。
 彼のことを徹底的に調べた。彼が今まで何をしてきて、どういう人生を歩んできたのかを調べた。彼のポケモンを全て調べ、彼がどういう手を使ってくるかも調べた。
 必要な道具も全て揃えた。セレビィに協力してもらい、一部は店から盗んできた。
そうして一か月が経った。僕はいよいよ過去へと旅立つ。セレビィに準備が整ったことを知らせる。セレビィの力によって、眼の前の空間が歪み始めた。その歪みは、僕がちょうど入れるくらいの大きさだった。歪んだ空間に飛び込んだ。眩い光に包まれつつ、僕は過去へとやってきた。
 僕はセレビィに渡された地図をもとに、そこから歩き始める。
 主人公が過去を変えるなんていうのは、小説や漫画でもよくある設定だったりする。そして大概、この手の話の主人公は、過去を変えるのはいけないことだと悟り、今を大事に生きようなどと綺麗ごとを言い、そして話を終わらせる。ではいったい、彼はどうだろうか。そんなことを考えながら歩いていた。
 目的地に辿り着いた。ちょうどここは、森の中心に位置する所だった。ここで待っていれば、彼はいずれやってくると言われた。僕はやらなくてはいけない準備をしながら、彼がやってくるそのときを待った。

聳え立つ木々が、辺りを犇く草花が、喘いでいた。
 空を見上げると、鳥ポケモン達が、騒がしい鳴き声と共に、一斉に羽ばたいていた。何事かと思ったが、歩いている人を見つけたので、そっちに意識を集中した。赤い帽子を被っていて、フードのついた灰色の服を着ている。背中を見てみると、青いリュックサックを背負っている。セレビィが言っていた通りの格好だ。彼で間違いないだろう。
 緊張が走った。手汗がにじんで、心臓の音は激しさを増してきている。しかし、落ち着かなくてはいけない。落ち着くのが不可能な状況でも、それでも落ち着かなくてはいけない。
 呼吸を無理やり整えつつ、相手の背中をじっと見る。最初に使うポケモンが入ったボールの開閉スイッチを押す。なるべく音を立てないように、静かに中からポケモンを出す。赤い数珠のようなものを首に巻き、黒く小柄な体をした彼女と目が合う。彼女は分かっているというようにこくりと頷き、ひらひらとした髪の毛のようなものを少し揺らし、そして彼の所まで飛んでいく。

 さあ、戦闘開始だ。

「ムウマ、シャドーボール!」
 僕は叫んだ。咄嗟にチャンピオンは振り向いて、ボールからジャローダを繰り出した。ジャローダは尻尾を地面から垂直に立てて、その攻撃を防ごうとした。
 シャドーボールはその尻尾と衝突し、小規模ながら爆発を起こすものの、鍛え抜かれた長蛇には傷一つつけられず、結局PPを無駄にしただけで終わる。そんなことを想像した方もいるかもしれない。しかし、そうはならない。ムウマが放った技は、シャドーボールではないのだ。
 ジャローダは眼を見開く。長蛇の視線の先には、二つの巨大な黒い眼があった。ムウマの放った技は攻撃に使うものではなく、それは相手の逃げ道を塞ぐ技だった。ムウマに予め言っておいたのだ。シャドーボールと言われたら、迷わずくろいまなざしを出せと。恐らくチャンピオンのことだから、たとえ不意打ちをしたとしても、技を出した音を聞いた瞬間、すぐさまポケモンを出してきて、自分を守る術ぐらいは身に着けている。それを知っていたから、こっちはその裏をかいて、攻撃技ではなくくろいまなざしを出した。これで相手は逃げられなくなった。そして次は、
「ぼろびのうた!」
 言い切る前から、ムウマはすでに歌い始めていた。ぼろびのうたを聞いたポケモンは、一定時間経つと倒れてしまう。一度ボールに戻れば効果は消えるが、ジャローダは逃げられる状況ではない。また、歌い手がやられても効果が消えるが、これはすぐに交換してしまえば問題ない。
 僕はすぐに、ムウマをボールに戻そうとする。しかしそうする前に、ジャローダはこっちに急接近し、鋼鉄を纏った尻尾を使って、ムウマを地面に叩きつけていた。このジャローダの素早さは恐るべきものだった。もともと素早さの高い種族であるが、それよりもとにかくレベルが高すぎる。
 土煙が上がりムウマが悲鳴を上げたとき、ジャローダはしとめたと思ってにやりと笑っていた。レベルが三倍近く離れているであろう相手の攻撃を喰らったムウマは、すでに意識を失い戦闘不能の状態にあると予想していたのだろう。
 しかし土煙が消えたとき、頭部に痛々しい傷を残しながらも、ムウマはまだ戦えるという意思を示すかの如く、息を荒くしながら懸命に浮遊し、半開きになっている眼で相手を睨みつけていた。
 タネあかしをするとムウマには、気合のタスキをあらかじめ持たせておいた。気合のタスキは持たせると、どんなに強い攻撃を受けてもHPが一残る。
 僕は今度こそムウマを戻し、そしてチャンピオンの顔を見る。
「なんだお前は! なんのつもりだ!」
 ずっと黙っていたチャンピオンはようやく口を開いた。さっきから彼のセリフがなかったのは、描写を省いていたからではなくて、本当に何もしゃべっていなかった。トレーナーの指示を借りることなく、ジャローダは勝手に判断して行動していた。
「お前が過去を変えるのを止めに来たんだ」
 彼は目を見開いた。しかしすぐに、だからなんだという様子で、怒気を纏った声をこっちにぶつけてきた。
「トレーナーに直接攻撃してくるなんて、そんなことをいきなりやってくるなんて、どうやら余程の事情があるようだな。でもそんなことは関係ない! 俺はやり遂げなくちゃいけないことがある。それまで絶対に、未来には帰らない!」
「そう言うと思ってたよ。だから僕はこうして、力づくで止めようとしているんだ」
「ならしょうがない」
 彼がそこまで言った後、ジャローダがほろびの歌の効果で倒れた。倒れる瞬間こっちに向けられた視線が、まるで殺意に満ちているようでぞっとした。
 彼は、一度大きく息を吐いて、
「トレーナーだから頼まれた勝負は断らない。だから俺はお前と戦ってやる。そしてお前を倒す」
 そう言った後、ボールからハピナスを繰り出した。そして「その後に」ジャローダをボールに戻した。

 さて、ここで作戦を整理してみよう。トレーナーを逃げられなくする。そして降参しないと殺すぞと脅す。これが基本。しかし、ポケモン達は必死に彼を守ってくる。彼を捕えるには、邪魔な彼らを倒す必要がある。彼の手持ちはレベルが高く、真面にやって勝てるわけがない。なのでちょっとした小細工をして相手を倒しつつ、彼を狙っていく必要がある。
 僕はトレーナーだった頃、バトルで負けたとき、そのときの悔しい思いを誤魔化すために、こんなずるいことをやったら勝てるのではないか、などとよく考えていた。僕は前述した通りバッチの数は四つで、だからそんなにバトルの腕があるわけじゃない。しかし、そのような妄想は誰よりも多くしてきた。だからそれに関しては、自信がある。
 僕はオオスバメの入ったボールを投げた。ボールが完全に開く前に、すでにハピナスが近づいてきて、十万ボルトを出そうとしていた。そんなことは織り込み済み。オオスバメは「まもる」を使いながらボールから出てきた。ハピナスの出した光の槍は、オオスバメの作り出した衝撃派によって打ち消される。
 次の手を打つ暇がなかった。ハピナスは再び十万ボルトを繰り出した。その攻撃はオオスバメに当たった。眩しすぎる光が回りに拡散し、後ろにあった木に電撃が当たり、その幹は倒れそうなほど深く抉られる。オオスバメは後ろの木に衝突し、その木をへし折ってさらに吹き飛ばされ、二本目の木に衝突して止まった。打撃技でもないのにこんなに吹っ飛ぶとは、予想以上の破壊力だ。しかしオオスバメは倒れない。まだ戦闘不能にはならない。
「やっぱりきあいのタスキか。好きだなそれ」
「がむしゃら!」
 僕が言うと同時に、オオスバメは素早く飛び、ハピナスの懐に潜り込み、勢いよく体をぶつける。ハピナスの体は高く宙に浮いた。そのまま遠くへ吹っ飛ばされる。がむしゃらは自分のHPと相手のHPを同じにする技だ。現在のオオスバメのHPは一。だからハピナスのHPも一になる。ハピナスの恐ろしいほどある体力も、これであっという間に削ることができた。
 このオオスバメは、とある友人から借りてきた。きあいのタスキ+がむしゃらのコンボは、素早さの低いポケモンほど成功しやすいので、本来進化前のスバメでやることが多いらしいが、レベル差があるので絶対に向こうが先行だし、スバメを使うと相手に作戦がばれる恐れがあるので、友人のこのオオスバメがちょうど適していたのだ。
 ハピナスは痛みが後から襲ってきたらしく、おおらかだった顔は今になって苦痛に歪み始めた。
 もう彼は、次にオオスバメが、先制技のでんこうせっかで、止めを刺すことくらい分かっているだろう。すぐさまハピナスをボールに戻そうとしていた。
 そのとき、僕はチャンスがきたと思った。
 自分の本当の狙いは、ハピナスを倒すことではない。
 ハピナスをボールに戻した瞬間、戦いの場に彼のポケモンはいなくなる。すなわち彼は無防備だ。このチャンスを逃すわけにはいかない。
「でんこうせっか!」
 僕がそう叫んだ瞬間、彼の背後の地面の下から、頭にドリルを付けたポケモンが飛び出してきた。このポケモンはドリュウズだ。ドリュウズには、地面の下にずっと隠れてもらっていた。無線機を持たせて声が聞こえるようにし、僕がでんこうせっかと言ったら、地面から飛び出せと予め言っておいた。
 ちなみに、最初から二対以上出さなかったのは、二対以上出すことはないだろうと、油断をさそうためにそうした。
 後はドリュウズが彼に、回転させたドリルを突きつけてくれればいい。そして降参しないと殺すと脅ばいい。そうしたら僕の勝ちになる。
 ドリュウズが彼に近づいていく。これでもう終わったと思った。
 しかし、そう甘くはなかった。
 彼は右手を上げつつ、静かにこう言ったのだ。
「ボーマンダ、はかいこうせん」
 突如空から凄まじい轟音と共に、極太い光りの線が降ってきた。それは一瞬の間に地上に届き、凄まじい量の土煙が上がった。甲高い悲鳴が森中に響き渡り、やがて土煙が消えてなくなり、亀裂が入り大きくへこんだ地面の上に、HP残り一でふらふらのドリュウズがいた。
「ハピナス、ちちゅうなげ」
 呆気にとられていた僕は、指示を出すのを忘れてしまった。すぐにハピナスがドリュウズを投げ飛ばした。固定ダメージの技だったせいか、ドリュウズはあまり飛ばず、一本目の木に衝突して止まった。 とりあえずオオスバメはボールに戻せたが、ドリュウズは戦闘不能になってしまった。
「もしかして……」
 何が起こったのか考察してみる。ボーマンダは上空から、攻撃を繰り出してきた。ボーマンダはいつからそこにいた? もしかして、バトルが始まる前から?
 考えている間に、向こうから言ってきた。
「ボーマンダには、ちょっと回りの様子を調べてもらっていた。詳しくは言わないけど、探さないといけない奴らがいたから」
 彼が来る前に、鳥ポケモン達が、騒がしい鳴き声と共に、一斉に羽ばたいていたことを思い出した。ボーマンダみたいな巨大な竜が現れたら、慌てて逃げ出すのは当たり前だ。
 初めてポケモンを一体失った。しかし、慌てることはない。たまたま彼がボーマンダを、ボールの外に出していただけだ。相手の運が良かっただけだ。むしろ慌てるべきなのは彼の方だろう。

 さて、切り替えよう。僕は落ち着いてボールを投げた。中からムウマが出てきた。
 瞬時にボーマンダがムウマの方に向かってくる。ムウマはまもるを覚えていない。だがらその攻撃を防ぐ術はない。ムウマはドラゴンクローを喰らい大きく弾き飛ばされ、四回バウンドしてようやく止まった。地面に仰向けに倒れ、動かない。
 そして同じく、ボーマンダが倒れて動かなくなった。ボーマンダはこっちの傍に倒れた。それを見て僕はにやけた。
「ああ、みちづれか」
 だいたい予想通りといった感じで、彼は特に表情を崩さずに言った。みちづれは自分が戦闘不能になるとき、相手も戦闘不能にする技だ。ゴーストタイプにはお馴染みの技なので、使うだろうと予想がついていた方もいるだろう。
 倒れたムウマを戻す。とあることをする準備をしつつ、彼が次に何を出してくるのか想像を巡らす。
 彼はボールを投げた。
 現れたのは黒い巨体。
 場に出ているだけでかなりの威圧感。後ろの尻尾は所々光っており、赤い鋭い眼はこっちを睨んでいる。
 それは伝説のポケモンの一匹、ゼクロムだった。
 彼が昔ゼクロムを捕まえたことは知っていた。某著名掲示板の彼関係のスレで、このことは最も話題になっていた。ゼクロムは彼の所へとやってきて、ゼクロムの方から勝負をしたいと申し出たらしい。彼はゼクロムを倒した。そしてゼクロムに認められた。
 ゼクロムが手持ちに入っていることは、もしかしたらあるかもしれないと思っていた。これを出してくるということは、相手も本気でいかないとまずいと思っているのか。
 どちらにせよ。
 僕はせっかく出した伝説のポケモンを、まったく活躍させることなく終わらせるつもりだ。
 ボーマンダがこっちの傍に倒れてきたとき、それを見て僕はにやけたと記した。僕は厨ポケを倒せたからにやけていた訳ではない。
 彼はまだ、ボーマンダをボールに戻していない。彼は自分が狙われる隙を作らぬよう、次のポケモンを場に出してから、戦闘不能になったポケモンを戻すようにしていた。
 しかし、それが仇となる。このボーマンダに、自分は今からあることをする。
「おい、このボーマンダがどうなってもいいのか!」
 僕は彼に向かって叫んだ。銃を取り出し片手に握りつつ。
 この銃は、セレビィに時の流れを止めてもらい、その隙に僕が基地に忍び込み、ヤクザから盗んできたものだ。
 彼はこの常識外れで反道徳的な行為を見て、信じられないという顔をした。呆気にとられていた。まさかポケモンバトルでトレーナーが、銃を使ってくるとは思わなかっただろう。こんなこと、絶対に初めてのことだろう。
 最初から銃を使えよ、と思う方もいるだろうが、遠距離ではかわされる可能性もあるし、何より瀕死のポケモンでないと、銃弾で死ぬかどうか不明だったから。
 チャンスがくるかどうかは分からなかった。くればラッキーくらいに思っていた。
 彼は下唇を噛み、少しの間沈黙していた。「自分のポケモンを見捨てて、そこまでして過去を変えたいのか」。僕は追い打ちをかけた。それを聞き、彼は拳を握りしめ、消えるような声で呟いた。
「俺の負けだ」

 そしてその後すぐだった。既視感のある音が、僕の耳に届いてきた。不意に光の球体が現れて、それはセレビィへと形を変えた。
「今すぐ帰ってください」
 極めて冷淡な口調で、彼に向かって言った。彼は何も言わず黙っていた。
「過去を変えるのは、いけないことなんです。あなたが過去を変えると、この人が死んでしまいます。あなたはそれでも、できるんですか? それに、過去は変えられないからこそ、人は前を向いて歩くことができる。過去は変えられないから、今を大事に生きることができる。後悔ばかりしても、何も始まらない。失った過去へは、もう戻らない方がいいんです。一度承諾しておいてなんですが、今すぐ戻ってください」
 ここからは、僕の方を向いて言った。
「私は、非常に愚かなことに、情に流されてしまいました。あのとき私は、「他のセレビィが」と言いましたが、それは真っ赤な嘘です。彼の承諾を受けたのは私です。本当はいけないことなのに、私は情に流されて、承諾を受けてしまいました。私はそのことを後悔し、どうしようか悩んだあげく、あなたと彼を戦わせてみました。あなたがそれで勝った場合、彼を止めようと思ったんです。いっそのこと、勝った方が正義にしようと。馬鹿なことやってすいません。あなたには本当に、申し訳ないと思っています。何度謝っても、謝り足りません」
 このポケモンが纏っていた、神々しさや神秘性の類は、もはやすっかり消滅した。情に流されるようなポケモンが、神と呼ばれていいはずがない。普通の人間となんら変わりはない。
 神々しさと共にセレビィは、説得力も失った。さっきセレビィは彼に対し、綺麗ごとじみたことを言っていたが、情に流された自分のことを、すっかり棚に上げており、その言説はむしろ滑稽に聞こえる。
 セレビィの話を全て聞いて、一つ分かったことがあった。セレビィと会ったとき、神秘性に惑わせれて、あのときは気にならなかったが、今考えるとセレビィの行動が少しおかしくて、そしてそれには理由があったことが分かった。不意に眼の前から消えたり、僕が速く歩いたら音が速くなったり、あれはセレビィが躊躇していたのだろう。僕に頼もうかどうか、悩んでいたのだろう。
 セレビィの話を全て聞いて、一つ気になることがあった。仮にも神と呼ばれるポケモンが、情に流されてしまうような、彼が過去を変えたい理由とは、いったいなんなのだろうか。
 そのことをセレビィに聞いてみた。すると答えた。
 彼はプラズマ団の野望を、喰い止めようとしていた。しかしそのとき、協力していた友人が、敵のポケモンの攻撃を喰らい、死んでしまった。しかもその友人は、彼のことを庇って、攻撃を喰らったという。彼と友人はとても仲が良かったらしく、彼は友人の死にとてもショックを受けた。だから彼はセレビィに、過去を変えたいと頼んだらしい。
 プラズマ団とは、ポケモンの解放を謳う団体のことであり、トレーナーからポケモンを解放するべく、トレーナーからポケモンを略奪するなどの悪事をしていて、かなり有名になっていた。そしてそのプラズマ団を、彼が喰いとめたのも有名な話で、一時期テレビのニュースを賑わせていた。
 そのことは当然知っていたが、そのときに友人が死んでしまったことまでは知らず、あの事件がここで関係してくることは、今まで全く想像していなかった。
 もちろん、こんなことは関係ない。過去を変えていい理由にはならない。
 セレビィはまた彼の方を向き、そして何も言わず、表情を全く変えず、やるべき作業を行った。まず、念力を使って彼を動けなくする。次に適当な空間を歪ませ、そこに引きずりこもうとする。歪ませたその空間は、未来に繋がっているのだろう。
 セレビィの強い力に抵抗しつつも、徐々に引っ張られている彼を見て、彼の苦しそうな表情を見て、安堵の精度と量が確実に上がっていく感覚を覚えた。もう自分は安心して良かった。自分が死ぬ可能性は、百パーセントないに等しい。
 不意に心地良い風が吹く。木の葉が優しく音を立てる。遠くでポッポが一匹羽ばたく。森中に鳴き声の音色が響き渡る。
 思えばここまで長かった。セレビィと出会った。衝撃の事実を聞かされた。彼を倒すための作戦を練った。彼と全力で戦った。そして……
 順番に記憶を辿っていくうちに、僕は不可解な感情を覚えた。妙だ。この感情は妙だ。異常だ。この感情は異常だ。おかしい。変だ。胸中がざわついた。体から汗が出てくるなんて不条理だ。
 決して、回想なんかしてはいけなかった。僕が今まで自分がやったことが、それに関わることが明確になってしまうから。
 罪悪感。
 それが僕の心を、蝕んでいった。
 自分の行為によって、彼の大事な人が生き返らない。
 そのことに対し、強く罪悪感を覚えた。
 僕は咄嗟に自分を庇った。突如生まれた訳不明な感情に、おおよそ言い訳とは言い難い、誰もが仕方ないと思う「理由」で反論した。
 自分が生き残るためには、どんなことをしても許される。すなわち僕は、何も悪くない。そう自分に言い聞かせ、なんとか心の安定を図ろうとした。
 しかし、そう簡単にはいかなかった。心の安定は、そう簡単には訪れない。死の恐怖がなくなり心が空白になったときに、罪悪感は心を一気に埋め尽くしてきたから、これは中々消えるものではない。  なんとかして自分は、この間違って抱いてしまった罪悪感を、なるべく最小限に減らしてから、この場をさらっと立ち去りたい。そのためには、いったいどうしたらいいのだろう。どうやら自分は、少し贅沢になったようだ。死なないだけで十分なのに、罪悪感も減らしたいと考えるなんて。
 ここまで罪悪感が強くなる理由は何か。恐らく理由は、こうだ。「自分が悪人になっている感があるから、罪悪感が強くなる。」そうだ、これが真理だ。自分は悪者になるのが嫌なのだ。
 ではなぜ自分は悪人みたいになっているのか。その理由はいろいろある。
 まず、僕は彼と戦うとき、そのやり方が背徳的すぎたことだ。最終的には、銃を使って脅すという、とんでもないことをしてしまった。今考えれば、僕はあのとき調子に乗りすぎていた。
 次に、彼がゼクロムに認められた、ということ。某著名掲示板で、彼を嫌って「あいつはクズだ」と叩いているアンチに対し、「ゼクロムに認められているのにどこかクズだよ。クズはお前だ死ね」と、彼を擁護する書き込みが時折見られた。つまり、偉大なる伝説のポケモンに認められると、それだけで正義と思う人がいるということだ。そして、僕もそう思う。
 他にも、セレビィが彼の味方についたり、過去を変えたい理由が良心的だったり、これら全てが、僕を悪者にするシナリオを、描いているような気がする。
 主人公が過去を変えるなんていうのは、小説や漫画でもよくある設定だったりする。そして大概、この手の話の主人公は、過去を変えるのはいけないことだと悟り、今を大事に生きようなどと綺麗ごとを言い、そして話を終わらせる。
 過去を変えるのはいけないこと。本来なら、それで終わるはずなのだ。それなのに、どうして。
 セレビィは、まだ作業を終えていなかった。彼を念力で押さえつけたまま、動かさないでいる。まだ悩んでいるのだろうか。自分が死ぬかもしれなかった怒りもあって、さっきセレビィを散々に酷評していた訳だが、結局僕も人のことは言えず、まさかの罪悪感を感じている
彼の腰についているボールの一つが、不意に激しく上下に動いた。少し経ってボールが開き、光の粒子を荒々しく散らし、ジャローダが中から飛び出した。その眼は真っ赤に染まっていて、極度の怒りと必死さを表していた。
 既に戦闘不能の状態なのに、微かに残っている生気を振り絞り、必死に主人を守ろうとしている様子見て、僕は酷く心が痛んだ。そういうことをするなと思った。ジャローダのその行為は、彼がいかにポケモン達に懐かれ、そして信頼されているということを、正しく明確に証明するものである。これを事情もしらない第三者が見ているとしたら、僕に冷たい軽蔑の視線を投げかけてくるだろう。
 彼は「もういいよ、ありがとう」と、極めて優しい口調で言って、パートナーをボールに戻し、眼から冷たい滴を零し、そしてもう抵抗するのを諦めた。僕の心が更に痛んだのは、言うまでもない。
 一度抱いてしまった感情は、極端な方向へと転がっていくのを止めず、僕はさらに余計な想像を巡らせてしまう。
 彼はこれまで、こつこつと努力し、日々精進し、仲間を思いやり、幾多の困難を乗り越え、体にたくさん傷を作り、それでも決してめげることなく、ひたすら夢を追いかけ、そしてその結果、チャンピオンになったのだろう。
 そんな彼がやり遂げようとしていることを、何をやっても中途半端で、ろくな目標も持たず、そんなに頑張りもせず、そこそこの結果しか出せず、捻くれていて、ずるいことばかり考えている自分が、全部ぶち壊そうとしている。
 彼は今まで正しい行いをしてきた。褒められる行為をしてきた。ありとあらゆる人達を、味方につけられることをしてきた。
 彼は今まで正しすぎて、たった一つの間違いを、正当化させる力を持った。洗脳にも近いその力はとても強大であり、セレビィが味方についた。そしてさらにその力は、本来は正当防衛と見なされるべきことをした僕を、反論の余地のない悪人に仕立て上げようとしている。
 セレビィは、ようやく作業を終わらせた。彼はとうとう、未来に帰った。未来に帰る瞬間の彼は、ただひたすら泣いていた。僕を睨んだり、罵倒を浴びせたりしてくれれば、罪悪感はずいぶんと和らぐのに、と思った。

 僕は今、罪悪感が頂点に達していた。果たして僕に生きる資格はあるのか。そんなことまで考えてしまっていた。被害妄想が徐々に酷くなっていった。
 僕は悪人と呼ばれることになるか。僕は決して間違っていないか。僕のやったことは認められるか。
 僕に生きる資格はあるのか。
 これから自分は、この罪悪感をいつまでも引っ張り続けるのだろうか。このときのことをふと思い出し、酷く苦しむことになるのだろうか。それはとても辛いことだ。
 不意に音がした。何かが傾く、そんな音。音のした方を見た。そして僕は、あっと思った。
 木がこっちに倒れていた。
 さっきの、ハピナスの十万ボルトが当たった木だろう。もうすぐ近くまで倒れたいたので、自分がよける余裕はなかったし、恐らく善意があるセレビィが、時の流れを止めて助ける、なんて展開も望めなかった。
 僕はこれで死ぬのだろうか。結局死ぬ運命だったのか。などと考えながら、木が自分の方まで落下するのを、瞼を閉じて待っていた。
 しかしいつまで経っても、木は落ちてこなかった。その代わり、何かやら大きな爆発音がした。
 ゆっくりと眼を開ける。すると信じられないことが起きていた。シャドーボールが木と衝突していた。そしてそのまま木は折られ、僕の横に倒れた。
 死亡フラグを破ったのは、ムウマだった。いつの間にか、ボールから飛び出していた。すでに瀕死の状態にあるムウマは、その体を酷使して僕を助けた。それはさっきのジャローダを彷彿とさせた。
 ムウマはその後、地面にぱたりと倒れ、動かなくなった。僕は慌てて駆け寄った。とりあえず息があることを確認し、すぐにボールに戻した。
 しばらくの間、茫然と立ちすくんだ。申し訳ない気持ちや嬉しい気持ちが湧き上がると共に、僕はたった今分かったことがあった。
 僕は他人から認められたかった。
 そして悪人になるのを、拒んでいた。
 過去が変わると死ぬと言われたとき、まず最初に思ったのは、なぜ自分なのだろう、ということだった。自分が何か悪いことをしたのだろうか、そのことを非常に気にしていた。
 彼と戦うための作戦を練るときも、罪悪感を少しでも減らすために、なるべく技巧を凝らした戦術を考え、反則技の方の存在感が薄まるようにしていた。これは意図的にやったことではなく、無意識のうちにそうなっていた。
 他人から認められたいという気持ちを持つことは、悪徳であり駄目なことなのかもしれない。もっと自分を信じて、他人に何を言われようとも、耐えられるようにならなくてはいけないのかもしれない。しかし、この気持ちは抑えることができず、むしろ肥大化していく一方だ。肥大化を喰い止める術も思いつかない。僕はいつまで経っても成長しないクズです。だから、もうこれは、仕方がないのだ。非常に情けないが、そう考えるしかない。
 他人から認められたいのだから当然、悪人とは呼ばれたくない。そして僕が悪人でない、絶対的な根拠が欲しかった。何か、眼に見える根拠が、欲しかった。
 その根拠は探しても見つからず、だから僕は罪悪感に囚われていた。自分が悪いと思っていた。しかし、自分が悪くない根拠は、実はすぐ近くにあった。さっきのムウマの行為により、その根拠は見つかった。はっきりと、明確になった。
 僕だって、ポケモン達に愛されていた。信頼されていた。それは、明確な、僕の存在を肯定する、根拠となった。僕が悪者ではない、何よりの証拠になった。こじつけだと思われるかもしれないが、だって実際にそうなのだ。
 さっきまで僕を苦しめていた罪悪感は、跡形もなく吹き飛んだ。あまりにも急すぎる変化。感情のジェットコースター。しかし、これはつまりそういうことなのだ。他人に認められるだけで、考え方ががらりと変わってしまう。それだけで、自分は悪くないと思える。
 僕はこの世に存在していい。僕は悪人なんかではない。たとえどんなにずるいことをやっても、伝説のポケモンに認められなくても、今まで頑張っていなくても、僕は悪者ではないのだ。そんなことは当たり前だ。今まで何を考えていたのだろう。僕は洗脳されていたのか。
 この開き直りは、決して誉められたものではない。下手をしたら、ただの言い訳にしか聞こえないのかもしれない。
 これから自分はまた、罪悪感に襲われることがあるかもしれない。また自分が悪いと思ってしまうかもしれない。その都度僕はこの根拠を思い出し罪悪感と戦っていこう、とでも言えば多少正論じみた響きをもって謹厳な人の耳にも届くのだろうか。まあどっちにしろ、そう考えることで一応前向きになれるのなら、取り立てて文句を言われる筋合いはないはずだ。
 ここでもう一度記しておこう。僕は絶対に悪くない。
 不意に心地良い風が吹き、木々が静かに木の葉を揺らす。心地良い安心感に包まれつつ僕は、背筋をまっすぐ伸ばしてゆっくりと前を見た。セレビィの後について行き、歪んだ空間の中に入った。眩い光に包まれながら、僕は未来へと帰って行った。

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