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【応募作品一覧】 ◇文芸| 01020304050607080910111213| ◇イラスト| 01

初版公開:2013年6月20日


●雨空の下の思い出

 また一台、飛行機は雲の向こうに消えていった。雨の日も、晴れの日も、ここには毎日飛行機が出たり入ったりしている。ご苦労なことだ。よっぽどの嵐にでもならない限り、止まることはない。
 僕がこの空港に勤めるようになって、もうすぐ一年になろうとしている。この梅雨の時期になるといつもお客が少なくなって退屈だから、外を眺める時間がついつい増えてしまう。普段からあまり仕事が手に着いてない自分が言っても説得力に欠けるのだが、今日は特にぼんやりとしている。お客さんに何度も声をかけられないと気づかなかったほどだ。こんな日はここにいても仕方がないだろう。適当な理由を付けて帰ろうと上司に言ってみたら、人手は余っているということで、あっさりオーケーをもらえた。僕は、空港の奥へと歩いて行く。目指したのは搭乗口前のロビー。飛行機を一番近くで見られる場所だ。目の前には、ガラス板の向こうで、フライトを待つ飛行機がたたずんでいる。僕はポケットのモンスターボールから相棒、ムクホークを呼び出した。相棒が首をかしげて不思議そうに鳴く。僕はこれでいいんだと言って優しく頭をなでてやる。それから少しすると、相棒は眠ってしまった。
飛行機を見送って、しばらく空を眺めていると、僕の高校時代の思い出がよみがえってきた。僕がここで働くことになったきっかけ。僕が相棒と出会ったきっかけ。それは同時に、僕の初恋が終わった瞬間でもあった。

 高校生になってすぐの頃。僕はいつものように飛んでいく飛行機を眺めていた。クラスではオタク趣味だとなじられ、誰も僕と関わろうとはしてこない。幸いいじめなどにはならなかったが、友達も誰もいなかった。いつも一人だから、遊んでいてもすぐに飽きてしまう。ポケモンも一応、トレーナーの兄が捕まえてきてくれたダンゴロがいた。だけど、夜に自分の部屋で遊ばせてやる程度で、世話はほとんど家族がやってる。そんな僕が、唯一飽きずに見ていられたのが飛行機だった。
 僕にとって、まず鉄の塊が飛ぶこと自体面白くて仕方が無い。あんなに重い物が、ぶきっちょな鳥のような形にして、機械を取り付けるだけで空に浮き上がるなんて。しかも羽ばたき無しで。僕の知ってる鳥ポケモンは、みんなせわしなく翼をはためかせているのに。もちろん、エスパーポケモンのように、何もせずに浮かび上がるポケモンは知っている。だけど、そういうポケモンは、総じて高く飛ぶことは出来ない、と勝手に思っている。鳥ポケモンは、羽ばたくから高く飛べるんだ。そう信じ切っていた僕にとって、あれ以上の衝撃は未だ経験したことがない。人間が作った物とは信じがたいほどに、良く出来た存在だ。だから、放課後になると、毎日のように近くの空港に足を運んだ。当然、誰も付いてくる人なんていない。ただ、この一人の時間が、何よりも大切で、濃厚な時間だった。
 梅雨の時期に、変わったことが起きた。雨が降っているのもお構いなしで、僕はいつものように空港へ向かった。僕の特等席、バス停の前に行くと、普段見かけない少女を見つけた。僕と背丈が変わらないから、同級生だろうか。ロングスカートに長袖シャツ。少しこの時期にしては暑そうな格好だ。いつも僕が飛行機を眺める格好と全く同じように、塀からわずかに体を乗り出していた。僕はそれ以上気にせずに、普段通りに飛行機を眺め始める。雨に濡れた飛行機は、晴れの時とは違う、柔らかい輝きを持っている。そんなことを考えていると、突然横から声がした。
「君は、同じクラスの横山君だよね?」
完全に不意を突かれた僕は、大きく尻もちを付いて、傘を落としてしまう。雨が僕の体を一気に冷やしていく。ほんの数秒でびしょ濡れになった僕には意味がないのに、彼女は傘を僕に差し出してくれた。彼女の肩が、少しずつ濡れていくのが見える。
「ごめんごめん、びっくりさせちゃった? そりゃそうだよね。一生懸命飛行機見てたのに、急に話しかけちゃったもんね。大丈夫?」
「あ、ああ、なんとかね…… ところで、君は? 同じクラスって言ってたけど、ごめん、分からない」
「私は由里子。ほら、自己紹介で、ポケモンブリーダー目指してるって言ってたの、覚えて無い? 覚えて無いか。他にも何人か言ってたからね」
僕が答えるより先に、自分で突っ込んで笑っている。ただでさえ人と話し慣れてない僕は、完全にペースを失って黙り込んでしまった。
「横山君は、自己紹介で飛行機好きって言ってたよね。実は、私もなんだ。今までは違うところで見てたんだけど、数日前、横山君を見つけて、声をかけてみようかなって思ったの。びっくりさせてごめんね」
あ、あぁ。と気の利かない返事しか出てこなかった。本当はもっといろんな話がしたいのに。由里子さんの事とか、飛行機の事とか、聞きたいことなら山ほどあるはずなんだけどな。
「今日は早く帰った方がいいよ。そんなにびしょびしょのままだったら、風邪引いちゃうよ?」
ありがとう。それだけ言って、僕は家の方に向かって走って行った。形だけ傘を差して、びしょ濡れになっている姿は、出来れば見て欲しくなかった。
 次の日、学校に着くなり由里子さんから声を掛けられた。
「ねぇ、今日の放課後、私の家に来ない? 面白い物見せてあげる」
誰かの家に誘われるなんて初めてだ。僕は戸惑ってうまい返しが思いつかない。これまで放課後と言えば、飛行機を見る時間だった。クラスの人とも、ろくにしゃべった記憶がない。だから、恥ずかしながら僕にはどうしていいか分からなかった。とりあえず、行きたい! とだけ言ってみた。彼女はクスッと笑って、じゃあ放課後にと言って手を振り去って行った。
その日の授業は今までで一番長い授業だった。時計を見て、分針一つ動くのを今か今かと待ちわびていた。先生に当てられてもしばらく気づかなかったほどだ。体育の授業でもミスだらけで、クラス中の人に笑われた。だけど、普段ほど気にならなかった。ようやく放課後になったころには、もう二日くらい経ったんじゃないかという錯覚に陥っていた。
 由里子さんに連れられて、彼女の家へ歩いて行く。顔が熱くなっているのがよく分かる。何度も大丈夫だろうかと心の中で繰り返した。いつもの空港を通り過ぎて歩いて行く。こんな事は初めてだ。飛行機を一台空へ見送りながら、僕は歩き続けた。
彼女の家は周りの他の家より頭一つ出ていて、大きな柵に囲まれていた。いわゆるお金持ちの家というやつだろうか。僕はただただ圧倒されるばかりだった。
「ただいまー! お兄ちゃん、ケンホロウ借りてもいい?」
「帰るなり無茶言うなぁ。まぁ、暇してるみたいだから替わりに遊んでやってくれ」
リビングに向かって彼女が声をかけると、ケンホロウが飛んできて彼女の腕に止まった。よく馴れているなぁ、とまた感心する。
「じゃあ、裏庭に行こう! 早く早く!」
彼女は僕の腕を引っ張って走りだした。そんなことしなくても着いていくよ、とは言わなかったが、僕もすぐに走り出した。
 彼女がモンスターボールを放り投げると、閃光の中から大きな鳥のポケモンが出て来た。茶色の毛並みに大きな翼。鋭い目つきに思わず背筋が凍りそうになる。
「ピジョット! ケンホロウ! 今日も一緒に飛ぼうか!」
えっ? 飛ぶ? 一緒に? 理解が追いつかなくて、頭がオーバーヒートしそうだ。
「何ぼさっとしてるのさ? 横山君も一緒に飛ぼうよ! そのためにわざわざケンホロウ借りてきたんだから!」
僕も!? そもそもポケモンに乗って飛べるのか? いろいろな考えが頭の中を回るけれど、何一つ言葉にならなくて困る。僕がオドオドしていると、ピジョットが肩をつついてきた。思ったより痛い。僕は半ば脅されるような形で、ピジョットの背に飛び乗った。
急上昇。さっきまでいた庭がどんどん小さくなっていく。風が強く吹いている。こうなることが分かっていたら、上着の一枚でも持ってきたのに。次第に、いつも見てた空港が、僕らの学校が、近所の雑木林が、一つの視界に集まってくる。雲もさっきより近くなっている。いざ飛んでみると、震えたりオドオドしたりすることもなく、ただただ呆然と固まっているばかりだった。
「どう? 飛行機ほど高くは飛べないけど、邪魔するものが何もなくて気持ちいいでしょ?」
僕は返事が出来なかった。空の上なんて、初めてだったから。まずは飛行機で体験したかった。いきなり生身で空にやってくると、さすがに肝が冷える。この空の上を気持ちいいと言える彼女がうらやましかった。
「もしかして、怖かった? ごめんごめん! じゃあ今日は降りようか!」
今度は急降下。庭がどんどん大きくなる。このままぶつかったら痛いだろうな。空の上で、一番良からぬ想像が頭をよぎった瞬間だった。
僕の想像とは正反対に、ピジョットは地面に近づくにつれてスピードを落とし、最後にゆっくり大地に降り立った。由里子さんを乗せたケンホロウも、後に続いて降りてきた。
「えへへ、ごめんね。飛行機が好きだったら、飛ぶのも好きなもんだと思ったんだけどなぁ」
「飛行機にも乗ったことないんだけど……」
僕は思わず座り込んでしまった。彼女は二匹の鳥ポケモンを撫でて笑っている。さっきよりも、彼女やポケモンたちがたくましく見える。
「慣れればきっと楽しいよ! もしよかったら、横山くんも鳥ポケモン捕まえて練習したら?」
あんな風に空を飛ぶのはもうごめんだ。だけど、もし飛べるようになれば、彼女にもっと近づけるんじゃないか。それを思うと、チャレンジしてみた方がいいんじゃないかという予感が頭をよぎった。
「ちょっと考えてみるよ」
彼女の顔が明るくなった。僕の予感は確信へと変わった。
次の日から、街中の鳥ポケモン達がたくさん目に入るようになった。大概群れでいるもんだから、バトルは仕掛けにくい。電柱に群がるポケモン達を横目に、僕は学校へ向かった。
放課後、僕は近所の雑木林へ入った。普段持ち歩かないモンスターボールを持って。ポケモンの生態はよく知らないけど、何となくここにはポケモンがたくさんいそうな気がした。まばらに生えた木の隙間から、曇り空がよく見える。街中よりも、空気がじめっとまとわりついて来るような気がした。鳥なら空にいるだろう。そう思って上を見ながら歩いていた。
木の実のなる、背の高い木の下に来た時、木からクルミルが降ってきた。僕は後ろにひっくりかえって、尻もちをついてしまう。降ってきたクルミルは、木の方を見て震えている。つられて上を見上げると、葉っぱの中から影が飛び出した。僕は条件反射的に、影を追って走り始めた。視界にとらえたのは、黒と白の体をした鳥ポケモン、ムックルだった。
そう長く走らないうちに、ムックルは再び木の枝に止まった。よく見ると、木の実をかじっているのが見える。捕まえるなら、今しか無い。僕は腰に付けたモンスターボールを投げた。中から、僕が持つ唯一のポケモン、ダンゴロが飛び出してきた。
「ダンゴロ、ロックブラスト!」
小さな岩をいくつも発射するダンゴロ。岩は確実にムックルを捉えていた。枝が折れて落ちる。僕は空のモンスターボールを持って、ゆっくりと木に近づいて行った。その時、僕のすぐ上を何かが高速で通り過ぎる。直後、ダンゴロの声と、打撃音。上には、目をつり上がらせたムックルがいた。もう一度ロックブラストを打たせたが、全て避けられてしまう。素早い動きで迫ってきたムックルは、強烈な体当たりを休み無く浴びせてくる。ダンゴロが少しふらつき始めた。このままではまずい。僕は、とっさに頭に浮かんだ技を指示した。
「ダンゴロ、てっぺきだ!」
ダンゴロの体に銀色が混じる。銀色の割合はどんどん増して、しだいにダンゴロは完全に銀色になった。どっしりと構えたダンゴロは、ついにムックルの体当たりを跳ね返した。ひるんだ隙は逃さない。再びロックブラストで狙い撃つ。地面に落っこちるムックル。僕は渾身の力を込めてボールを投げた。ボールの音だけが、辺りに響いていた。やがて、その音も鳴り止んで、しばし完全な静寂に包まれる。ダンゴロに突かれて、ようやく我に返った。僕はボールを拾い上げ、ぎゅっと抱きしめた。これでまた一歩彼女に近づけると思うと、なんだかこみ上げる物があった。少し涙が出たような気がする。絶対にこのムックルを育てて、いつか由里子さんと一緒に飛ぶんだ。僕はムックルがいた木に、強く誓った。
 次の日、さっそく由里子さんにムックルを見せた。思わず声がうわずってしまった
「誰かを乗せて飛べるようになるまでには、かなり特訓しなきゃだめだよ。うーん、ムクホークまで進化したら、考えてもいいかな」
それを聞いてから、僕は来る日も来る日もムックルの特訓に明け暮れた。ダンゴロの事は完全に家族に任せっぱなしとなった。場所はもっぱら雑木林。空港に行くことはなくなった。時々上を通る飛行機があると見上げたりしたけれど、今は飛行機を見るよりも特訓の方が大事だった。雨が降ってもお構いなしなのは、飛行機の時と同じだ。傘だと動きづらいからと、この特訓の為だけに合羽を買った。一日でも早く、一緒に飛びたい。この思いが、一番強いものだった。
 ムックルをゲットしてから1年が経ち、再び梅雨がやってきた頃の事だった。特訓の成果が出て、ムックルはムクバードに進化した。だけど、僕は少し気になることがあった。由里子さんが、僕を避けているような気がしたのだ。会話が前より続かなかったり、廊下であっても挨拶の声が小さかったりして、僕は少しずつ不安になっていた。何かあったのかと尋ねてみようとした。事情があるのかもしれないと思いたかった。だけど、尋ねる勇気も出なかった。そうしてしばらく日が過ぎていくと、突然由里子さんの方から話があると言ってきたのだ。空港の前に呼び出され、久しぶりに飛行機の見える場所に来た。
「私、遠いところに引っ越すことになったの。イッシュ地方、だったかな…… そんな感じの名前の所に行くことになったんだ。お父さんの仕事の都合で。それにポケモンブリーダーになるなら、今の時代、ポケモンソムリエの知識もあった方がいいからって……」
「い、いつ出発するの?」
「明後日。こんなぎりぎりまで言えなくて、ごめんね。一緒に飛ぼうって言ってたのに……」
僕は何も言えなかった。言いたいことはいっぱいあるのに、濁流のように流れ込んできて、胸を塞いでしまったかのよう。彼女は静かに涙を流し始めた。曇り空から、雨が降り始めた。飛行機が一台、雲の向こうに消えていった。
 それからの時間はあっという間だった。気の利いた物も用意できないまま、由里子さんの出発の日を迎えた。この日は昨晩から大雨が降り続いていた。僕は学校をさぼって、朝から空港に急ぐ。せめて最後に、僕らの努力の結晶、ムクバードを見て欲しかった。ボールからムクバードを出したまま、由里子さんが来るのを待ち続けた。バスが一台、空港前にやってくる。そこから、彼女が降りてきた。
「横山君…… やっぱり来たんだ」
「うん。また、会えるよね?」
「分からないわ。ここに戻れる予定は無いけれど……」
そう言うと、彼女はゆっくりと僕の方に近づいてきた。そして、僕の隣にいるムクバードを、包み込むように優しく撫でた。
「本気で飛ぼうと思ってたんだね。特訓して、進化させて。冗談のつもりだったのよ。実際飛べるようになるまでは、5年くらいかかるんだもの。思いつきで始めて、続くようなものじゃないと思ってた。だから、正直驚いてるわ。ここまで本気だったなんて」
「僕は本気だよ。いつか、君の行く、なんとか地方にも飛べるようになってみせる!」
僕はまっすぐ彼女を見ていった。彼女はムクバードから手を離し、こちらに向き直った。
「イッシュ地方ね。遠いから、ポケモンじゃ無理よ。飛行機じゃないと。あなたが好きな、いや、好きだった飛行機ね」
彼女は飛行機の発着場を見ながらそう言った。今だって、飛行機は好きなつもりだ。ただ、それを上回る好きが出来ただけであって。
「いつか、また会えるといいわね」
そう言って、彼女は空港のチケットカウンターの奥へ歩いて行った。
「いつか、飛行機に自由に乗れるようになったら、会いに行くから!」
彼女は、優しく手を振りながら消えていった。まるで、梅雨の晴れ間が、雲で閉ざされるように。
 その日は、一日中空港にいた。彼女がどの飛行機に乗っているかは分からないけれど、全ての飛行機に手を振った。一台、また一台と、雲の中に消えていく飛行機。昔と変わらぬ光景。変わったのは、僕の方みたいだ。
あれから、僕はまた飛行機を見に行くようになった。だけど、放課後ずっとでは無くなった。ムクバードの特訓に行く日もできた。そして、僕には夢が出来た。将来、あの飛行機の操縦士になるんだ。そうすれば、他に何も気にせず、飛行機に乗れる。イッシュ地方にも行けるかもしれない。全く詳しいことは分からなかったけど、それでもがむしゃらに突き進んだ。

大人になった僕は今、空港のチケットカウンターで毎日のようにチケットを確認している。飛行機は相変わらず、ただ眺めるだけの物。夢をつかみ損なった。だからだろうか、仕事に身が入らないのも。彼女はそれほどに、大きな存在だったのだろうか。
 時報のチャイムが響いた。すっかり日も暮れて、目の前にある飛行機が今日の最終便らしい。目覚めたムクホークを撫でてやる。あの日彼女がしたように。それから、相棒をぎゅっと抱きしめた。寂しさを紛らわせたくて。今は、お前さえいてくれたらいい。そう思って席を立った。その時、後ろから声がした。
「こんな所にいたんだ。久しぶりだね、横山君」
聞き覚えのある声。振り返るとそこには、ピジョット。それから、僕の思い出とぴったり重なる女性が、太陽のような笑顔で立っていた。

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