【夜なき亭おしながき】| TOPAbout| Introduction| NovelsDiaryContest 2012Event 2013| Links
【応募作品一覧】 ◇文芸| 0102030405060708>09101112| ◇イラスト| 01

初版公開:2013年6月16日


●雨と少女とアメモース

 ――あぁ、どうか一刻も早く雨がやみますように。
 雨の日、僕が思うことと言えばそればかりだ。

 僕の身体は雨と非常に相性が悪い。
 何故かといえば、僕の頭から生えた触角は水に濡れると湿って重くなる性質を持っているからだ。身体よりも大きな触角なので、濡れの程度によってはその重さに負けてしまい、僕は空を飛ぶことができなくなってしまう。
 朝方、森の奥に発生する霧などでは問題はないものの、雨が降るともう駄目だ。
 僕は下手に動き回ることを許されず、雨風を凌げる場所でじっと待機する他なくなる。

 僕がこの姿になる前、アメタマだった頃はそんなことはなかった。
 むしろ、雨の日は大好きだった。雨が降ると水たまりが地面にたくさん浮かび上がって、いつもみんなで集まる大きな池からずっとずっと遠くまで出掛けて行くことが出来た。
 雨が降るたびに、今度はどこへ行こうか、雨が上がる前に帰ろうね、とみんなでドキドキしながら森を探検したものだ。
 本当に楽しかったのだ。それが叶わなくなった今、僕は改めて思う。
 アメモースに進化してから、僕はみんなにとても羨ましがられた。空を飛べるなんて凄い、どこにでも行ける、身体も大きくなった。それはもう、華やかで誇らしい日々だった。
 だが初めて雨が降った日、僕はアメタマ達と同じように探検に出掛けて調子に乗り、途中で飛べなくなって、無様にも地面に落っこちてしまった。動けなくなった僕をアメタマ達は驚きつつも運んでくれたが、その惨めさは、僕にはとても堪えるものだった。

 それ以来、僕は雨の日に余計に動き回ろうとはしなくなった。
 アメタマ達が集まる大きな池の傍には人間が建てた小屋があって、雨の日、僕はその軒下で雨宿りをしながら、仲間のアメタマ達が池の上を駆け回る様子を眺めている。
 降りしきる雨粒の中を駆け抜けるあの感触。仲間のアメタマが作る飛沫のトンネルをくぐるあの瞬間。そして、雨粒とみんなの笑い声が作り出す賑やかな合奏。
 どれもが懐かしく、そしてどうしようもなく遠い。

 こんなことなら進化しなければ良かった、と時々思うことがある。
 仲間のアメタマ達から立派だと褒めてもらったこの身体も、この時だけは何とも恨めしい。
 あの感覚は、もう取り戻すことは出来ないのか。
 あの輪に入れなくとも、せめて、この雨の中に飛び出していくことさえ出来れば。

 彼方から、水を跳ね上げて何かが近付いてきた。
 それは、人間が作った鉄の乗り物だった。触角を広げた僕の何倍も大きく、そして何倍も太く、そして何倍も長い。何よりも、雨風に動じない、堂々とした走りっぷりだ。
 鉄の乗り物は昔から度々森の中で見かけることがあった。いつも決まった時間に、薄暗い森の中を頭から眩しい光をビカビカさせて走り回るその様は、正直言ってちょっと怖い。
 いち早くそれに気付いたアメタマ達はあっという間に逃げ出してしまい、池の上では波紋だけが踊って、アメタマ達の舞を名残惜しんでいた。

 情けないことに、その時も僕は鉄の乗り物の発するビカビカに竦んでしまっていた。
 逃げないと。
 危険だ。
 そう言い聞かせるものの、小屋から飛び出した先で雨に濡れて飛べなくなった挙句、地面に落ちて見知らぬポケモンにまで醜い姿を晒すのではと思うと、どうしても羽根が動かなかった。
 そうこうしている間に、鉄の乗り物は僕には気にも留めない様子で小屋の前まで一直線にやってきて――そして僕には見向きもせずに通り過ぎて行った。
 僕は精一杯の勇気を振り絞って頭の触角を振り上げ、威嚇の構えを取っていたが、鉄の乗り物が反対側の森の奥に消えて行くのを確認して、思わず安堵の息などをついてしまう。

 跳ね上げた水たまりの飛沫を引っ掛けられなかっただけマシ、などという悲しい負け犬根性に僕が言い訳など巡らせていると、
「はぁ、はぁ、はぁ」
 先ほど鉄の乗り物がやってきた方から、そんな息を切らせた声が聞こえてきた。振り見れば、人間の女の子が大きな荷物を背負ってこの小屋へと駆けてくる。
 鉄の乗り物に比べればどうってことないので、僕は逃げずに、頭から生えた触角をぐいっ、と持ち上げて威嚇の構えだけ取っていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 女の子は小屋の軒下に勢い良く駆け込んだ。顔には濡れた髪が張り付いて酷い有様だったが、そんなことは気にしていない様子で――付け加えるなら僕の威嚇など歯牙にもかけず――小屋に貼り付けてある白い板にかじり付いた。
 そして、そこ書かれた文字と腕に巻き付けた白い小さな針付きの板とを幾度か見比べ、
「うあ〜、やっぱり間に合わなかった」
 そう言って、がっくり頭を垂れた。
「……ねぇアメモースさん、バスもう行っちゃったよね?」
 ようやくこちらを見て、女の子は僕に問い掛けた。
 バス、というはあの鉄の乗り物のことだろう。僕が小さく頷くと、女の子は「そっかぁ」と乾いた笑いを残し、小屋に置かれた椅子にへたり込んだ。
「フィールドワークに夢中になってたらこれだもん。しばらくバス来ないみたいだし……どうしよ」
 溜息などついて、いよいよ顔に垂れ下がった髪を気にしてなどいる。
 その表情、途方に暮れた様子は、夕立の臭いを嗅ぎ付けた僕が触角を垂らしてウンザリ落ち込む様子にそっくりに思えた。
 人間の事情も感情も知ったことではないが、おそらくこの子も、僕と同じくユウウツな気持ちなのだろう。
 そんな様子に、僕はなんとなく親近感を覚えるのであった。

 しばらく、やかましい雨音だけが続いた。
「雨、やまないねー」
 退屈なのか、女の子は僕に話しかける。
 僕は人間の鳴き声は真似出来ないので特別返すものもない。だが、退屈なのは激しく同意するところなので目線を合わせて肯定の意を伝えてやる。
 意図を汲んだか女の子の口元に薄く影が落ちて、
「アメモースは雨の日は飛べないんだっけ。知ってる、センセイから聞いたことあるよ」
 椅子から立ち上がると、女の子は小屋の軒下から降りしきる雨の下へとゆるゆると歩み出した。
「ポケモンには合羽なんてないもんね。ほら、こうやって全身覆っちゃえば濡れることもないでしょう?」
 女の子は身体に羽織っている半透明の衣服をパッと広げてみせた。僕はしげしげと覗き込む。
 なるほど、雨を弾いて濡れるのを防いでいるらしい。人間は賢いな、と思う。
「もしかして、ずっと雨宿りしてるの? 退屈でしょ、ああやって友達と遊べないと」
 僕は女の子の視線を追った。
 見れば、いつの間にか戻ってきていたアメタマ達がまた、無邪気な様子で池の上を走り回っている。
 それを見つめる僕は、よほど物憂げな表情していたのだろう。それに気付いた女の子は小さく肩を落とし、
「……ごめん。嫌な想いさせるつもりじゃなかったんだけど」
 そう言ってまた、雨降り前の僕のような表情を浮かる。
 大方、僕のことを可哀想と思っているのだろう。群れからも離れ、こんな狭い小屋の軒下に独りぼっちで悶々としている僕の姿は、彼女のように雨の下で自由に動ける身からすれば、さぞ惨めに違いない。

 ――あぁ、どうして雨はやんでくれないのだろう。

 無意識に羽根が動いていた。
 触角が濡れるのも厭わず――正直どうでも良かった――僕は軒下を離れ、降りしきる雨の只中に進み出た。
 鉄の乗り物が迫ってくる時のような怯えはなく、ただ、一刻も早くこの場から立ち去りたかった。

 どうして、こんな悲しい気持ちにならなければならないのだろう。

 進化したのを悔いてなどいない。
 雨を恨むつもりも毛頭ない。
 アメタマたちが楽しそうなのは何よりだ。
 この女の子は何も悪くない。

 なのに。

 どうして。

「待って待って!」
 背後から呼び掛けられ、女の子が僕の頭上に何かを差し出した。
 一瞬、僕の触角を叩く雨粒が消え去ったのが分かった。
 僕は何が起こったのか分からず、頭上を見上げた。
 鮮やかな青。
 晴れた空の色が、そこには広がっていた。僕は目を見開いて、ただただ唖然とそれを見つめる他なかった。
「これは傘。合羽ほどじゃないけど、この下にいれば雨に当たらないよ」
 そう言って、少し得意げな表情をしてみせる。
「ちょっと狭いかもだけど、あの小屋の中から出られないより、こうやって動き回れたほうがいいでしょ?」
 女の子は謙遜するが、澄んだ青色に染められた傘は十分大きく、僕の身体にすっぽり覆い被さるだけのサイズがあった。雨音と空の色で少し不思議な感覚だが、それ以上にこの雨の中、濡れずに飛び回っていられるという事実に僕は驚いていた。
「でもまぁ……実のところ言えばあの屋根の下と変わってないんだけどね。こうやって雨避けしてるって意味では」
 肩をすくめてみせる女の子。
 僕はすぐさま、それは違う、と否定の意を示した。
 傘の下にいる感覚は、あの小屋の軒下とは少し異なる。傘の表面を雨が叩くと、その布が薄いために振動が発生し、雨音は空気の揺れとして伝わってくる。天蓋は緩やかなカーブを描いており、雨音はその中で反響して肌を震わせる。その感覚は、雨が身体に当たる感触にもよく似ていた。
 不規則なリズムで刻まれる雨音の旋律。迫り来るように強く、包み込むように優しく、そして静かに過ぎ去っていく。大小様々なオノマトペに、僕の奥底にあった在りし日の記憶が否応なく喚起され、さざなみにも似た感情が僕の心に響き渡った。

 僕の高揚した様子を感じ取ったか、女の子はホッとした表情を浮かべた。
「ねぇ、このまま森を抜けるまで一緒に行かない? バスもしばらく来ないし、もう歩いて帰ろうかなって思うんだ」
 そう言って先刻鉄の乗り物が去っていった方向を指差した。
「それでね、森を抜けてもまだ雨がやんでなかったら、」
 僅かばかり逡巡の後、
「――私と一緒に、来ない?」
 僕は少女の指す、果てなく続く森の暗がりを見やった。
 この深い森も、いつか開けて外の世界へと繋がっている。去来した雨雲はいつか空の向こうへと去っていく。
 途切れない森はない。やまない雨もない。森を抜けた先には、雨がやんで傘が必要なくなった僕と女の子には、一体どんな出来事が待ち受けているのだろうか。

  ザァッ

 一際強い雨の打音が、僕の背中を押す。
「……どう?」
 おずおずと僕を見つめる女の子に、僕ははっきりと頷いた。
 森の途中で雨がやむかもしれない。やっぱり人間の世界に怖さを覚えてしまうかもしれない。でもこの、心躍るひと時がずっと続いてくれれば嬉しいし、きっと大丈夫だと思う。
 ――あぁどうか。

 どうか、もう少し雨が降っていてくれますように。

(4303文字)

●作者メッセージ(作:たらればさん)

取り調べに対し、作者は「雨でネタなるポケモンはいないかとiPadの図鑑アプリを起動した所、アメモースが画面のど真ん中にいた。安易過ぎてやばいと思ったが執筆欲を抑えきれなかった」などと供述している模様。参加させていただき、ありがとうございました。