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初版公開:2013年6月12日


●雨降り小僧

 ぬれた街路地に新しい雨がはじける。
 ぴちゃんぽちゃん、ぱしゃぱしゃぱしゃ。
 止んだと思えばまた降り出して、どうやら今日の空は情緒不安定らしい。見上げれば鉛色の空が手の届きそうなところまで漂っていて、今にも雷の音を響かせそうだ。
 出かける時になまけたのだろう、傘を持っていない女子中学生が黄色い悲鳴を上げて鞄を盾に走っていく。一瞬あとにはバケツをひっくり返したような雨が立て続けに打ちつけてきた。少女の悲鳴はもう聞こえない。
 その点、シチヘンゲはぬかりなかった。黄色のながぐつにお揃いの雨合羽をばっちり着込んできたのだ。小さな頭に豆みたいな雨が連続でぱらぱら降ってきて、楽しげな、少しうるさすぎるくらいの音色をかなでている。ピカチュウの耳を模した突起があまりの水量にすっかり垂れてしまっている。おろしたてのながぐつが、できたばかりの水たまりを跳ね上げた。短い足が水の糸をまとってかろやかにおどる。
 みぎにひだりに、まえにうしろに、自由自在だ。
「おおーい。まっておくれよシチ」
 音の滝の向こうから、おだやかな声がきこえてきた。シチヘンゲはぎざぎざしっぽをゆうらりとさせて振りかえり、ちいさな手のひらを高く挙げた。
「はやくこいよ、すてっぱちぃ〜」
 ぴちゃーん、ぴちゃーん。
 雨のカーテンが少し引いてくる。おかげでその向こう側にいた小太りの、なんともいいがたい姿が見えてきた。まずハゲあがっている頭と尻の大きな巻き貝が目をひく。つぎに優しげな目、ピンク色の肌、不釣り合いに立派なゲタが人の注意をかっさらう。が、いまここにはシチヘンゲ少年と「すてっぱち」しかいないので気にしなくてもよい。
 すてっぱちは百円均一でよく目にするビニール傘をくるりと回し、得意げに笑った。笑うとよくわかるのだが目尻のしわが濃い。しかし他はつるりとしていてゆで卵のようだ。とにかく年齢不詳である。
 シチヘンゲとすてっぱちは横並びになり、やや洪水気味な道路を歩きだした。遊歩道はなだらかな坂になっているようで、底にあたる部分にはすっかり縮小版の池がたゆたっていた。ふたりはまったく気にもとめず、というより楽しくてしかたがないというふうに池に突入する。水深はシチヘンゲのながぐつがほとんど沈んでしまうくらいだった。降り始めてそれほど経っていないはずなのに、かなりのたまり具合だ。
「なあ、すてっぱち。ほんとにでるんだろうなッ」
「ほんとだよ。おれがうそつくようにみえるかい」
「みえるー! すっげえうさんくせぇ!」
「あらあ、それはちょっと傷つく」
 舌っ足らずな毒にすてっぱちは笑い、池から抜け出した。シチヘンゲは名残おしげに足をあげ、ちらりと一度かえり見てからかけあしで後を追う。
「なあ、すてっぱち。そこにはタカラがあるんだって」
「うん?」
「えほんにかいてあったんだよ。そこにタカラがあって、だからいろんなイロにひかるんだってさ」
「ああ、そういやそんな話があったけかなあ。おれは昔そいつは橋で、渡っていくと空にいけるって誰かに聞いたよ。シチはどっちがいい?」
「うーん……どっちも!」
「ははあ、よくばりなやつめ〜」
 こつんと小突かれ、シチヘンゲはぷうっとほっぺを膨らませた。プリンみたいになった少年にすてっぱちは再び笑った。それがまたなんだかとってもムッとして、シチヘンゲはピカチュウの電気袋みたいにほっぺを赤くする。さすがにやりすぎたと思ったのか、すてっぱちが平謝りにてっすると、ななめになっていたごきげんは少しずつまっすぐになってきた。すてっぱちはホッと胸をなで下ろし、公園の角を曲がる。
 遊具はすっかりぬれそぼって、ちょっぴり寂しげだ。シチヘンゲはちらちらと落ち着かなげな視線を、スプリング式のレディバの乗り物へ飛ばしている。よほどあの遊具が好きなのだろう。こんな雨降りの日でもかまわず遊び心がくすぐられるらしい。そんなシチヘンゲのちっちゃな肩をすてっぱちが優しく押しやる。先へ行こうとうながしているのだ。シチヘンゲはうなずき、公園の先へと急いだ。
 普段ならばジョギングをする人や、学校帰りのこども、買い物途中の主婦が散見しているのだが、朝からの曇り空とどしゃぶりのせいかコラッタ一匹いない。おかげで驚くほどあたりは静かで、雨が草木とコンクリートをたたく軽快な旋律だけが世界中を満たしている。すてっぱちは足取りの重くなってきたシチヘンゲにあわせてゆっくり歩き、この、世界を胸一杯すいこめるような雰囲気を実に愉快な気分で堪能した。自分のよごれがすっかり洗いながされるような新鮮で神聖な気分。これは他の人にはきっと体験できないだろうと、いまならば言える。
 ふいに視界がひらけた。雨もまばらになっている。わあ、と歓声を上げてシチヘンゲが走り出した。
「すげえ! すげえ!」
 何度も何度も賞賛の言葉を繰り返す。
 遅れてやってきたすてっぱちが、大きな笑みを浮かべた。
 鉛色の空がぱっくりと割れて、そこからお日様が顔をのぞかせている。そしてお日様をまたいで七色の光が空を横切っていた。
 ――虹だ。
 シチヘンゲは公園のてっぺんという特等席から食い入るように虹を見つめ、唐突にすてっぱちを振り返った。
「なあ、すてっぱち。あれのはしっこにいこう! そしたらタカラをゲットして、すてっぱちといっしょにたびにでるんだ!」
 必死に「いこう、いこう」と引っ張るシチヘンゲにすてっぱちは困った顔をした。
「ごめんなあ。おれは他の街には行けないんだ」
「ええー! なんでだよぉ」
「それはおれが雨降り小僧だからさ。おれがいなくなったらこのへんに雨が降らなくなってみんなが困るだろう? だからごめんよ、シチと一緒には行けないんだ」
「……」
 それまで期待と焦りできらきら輝いていたシチヘンゲの目から、じわりと水があふれてきた。すてっぱちはますます困った顔になって、おかしなくらい慌てだした。
「でも、シチがもっと大きくなって立派なポケモントレーナーになったら一緒に行くよ。その頃には他の雨降り小僧がいてるはずだからな」
「ほんとに?」
「ほんとにほんと」
「約束だかんな!」
 差し出された小指にすてっぱちは目をしばたたき、ややあってにたりと笑って手を差し出した。慎重に爪のひとつを小指にからませ、ふたりは約束を交わした。
「そういやすてっぱちってさ、なんで耳ないの」
 虹をとっくりと見終わった少年がずっと抱えていた疑問を口にすると、すてっぱちはヤアンと首をかしげる。大昔にしっぽに噛みついた貝がぎろりと目を光らせた。
「なぜってこれが雨降り小僧のしるしなのさあ」
 ぬれた街路地に最後の雨がはじける。
 ぴちゃんぽちゃん、ぱしゃぱしゃぱしゃ。
 どうやら雨はあがったらしい。

(2738文字)

●作者メッセージ(作:カエル師匠さん)

 虹の向こう、少年とポケモン。
 雨の日のお出かけって楽しいよなあ、という思いから生まれました。