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初版公開:2013年6月16日


●アジサイ色の

 あきれるくらい真っ青な空。洗いたてのシャツみたいな真っ白な雲。肌をじりじり焦がす太陽。
 これ以上ないほど世界中が活気に満ちあふれているというのに、あぜ道に続く人の行列は一様に暗かった。みながみなヤミカラスを思わせる喪服を着込んで、ひそひそ話をしながら足を動かしている。額に浮かぶ汗、暑さのために無意識にあおがれる手団扇、けだるげに下げられた頭。それがつらつらと連なっている。
 初夏だというのに今日はやけに暑い。
 行列から幾分か外れた場所を歩いていたタツミは思わず足を止めた。隣でたよりなげに浮いていたムウマもぴたりと止まった。ゴーストタイプは陽の光に弱いと聞くが、タツミのムウマは特に疲れた様子はない。むしろ主人であるタツミの方が暑さに参ってしまって、すっかりスーツの下は汗まみれでびしょびしょになっていた。こうなると涼しい顔で浮いているムウマがうらやましい限りだ。
「タクシー、乗っとけばよかったねえ」
 ため息とともに小さく呟く。
 駅からすぐだから、という言葉に騙されてほいほい歩くのではなかった。駅から五分は駅から二十分くらいに思っておくべきだったのだ。経費削減という言葉が脳裏をよぎる。ハンカチで汗をぬぐい、タツミは再び歩きだした。
 葬儀の執り行われるテジマ家はポケモンのための医薬品で財を成した一家である。そこの一人息子が亡くなり、業界の人々が参列しているというわけだ。確か息子はまだずいぶんと若かったはずだ、とタツミは考える。若者の死というものはやりきれないものだなとも。
 しばらく行くと道の両脇に鯨幕が現れた。微風すらないためになんだか異界めいて見える。ふと、タツミは自分が無遠慮な視線にさらされていることに気づいた。
(葬式にゴーストポケモンを連れてくるなんて)(非常識な)(縁起の悪い)(不気味な子)(異常だ)
 タツミは参列者から目を逸らし、ほぼ駆け足になってテジマ家の敷地に踏み込んだ。慣れてはいるがいい気はしない。上がった息のまま周囲を見渡し、彼は家人であろう姿を発見した。
 二十歳をすぎたくらいの女だった。すらりとした色の白い人で、庭のアジサイをじっと、表情の読めない目で見つめている。タツミはこほんと咳払いした。ムウマもまねをしてこほんと咳払いをした。
「テジマカナコさんですか」
 一応訊ねると、女性はタツミが驚くほど素早く顔を上げた。寸の間恐怖の色がよぎったが、声をかけてきたのが見知らぬ少年だとわかり警戒しながらもうなずいた。
「ええ。そうですが」
「わたくし、ヌエの会のタツミと申します」
「あ、父が呼んだっていう……」
「お父様はどちらに」
「父ならハジメに付き添ってますけれど」
(ハジメ)(テジマハジメ)(シ)(ハナ)(シ)
 おや、と思いタツミはちらりと背後を振り返る。ムウマが微かに肩を押していた。シ――死、か。それがどうしたと訊きたかったがカナコがいる以上、ムウマとコンタクトをとるわけにもいかない。
 なおも警戒を解かないカナコになんとか敷居をまたぐことを了承してもらい、早々に退散することにした。依頼人はテジマトシオという人物だ。幼い息子を亡くした父親の憔悴ぶりを想像するだけで肩が重くなる。
 ――厭だなあ。いつまでたっても慣れない。慣れてはいけない、とも思うのだけれど割り切れないのはつらい。
 テジマ家は広々とした和風建築だった。近頃よく目にする洋風で味気のない既製住宅ではなく、古きよき木造住宅である。大きな玄関で靴を脱ぎ、からっぽな屋敷内に向かっておじゃましますと声をかける。
 忌み事特有のどんよりとした空気が漂っている。タツミはムウマに「ハジメの体」がどこに安置されているのかを探るように頼んだ。カナコに案内を願ってもよかったのだが、どうにも触るな近寄るなと全身で警告されているようで苦手だった。
「なんかあの人、悲しんでるっていうより……」
 何度か葬儀に呼ばれているだけあってタツミは人の悲しみや、苦しみや、絶望をよく知っている。だからこそ、先ほどのカナコの挙動に違和感を覚えたのだ。普通、身内が死ねば悲しむか、または安心したという表情をするか、無表情であることが多い。なのにカナコは怯えていた。いったい何に。
 物思いにふけっているとくいくいとスーツの裾を引っ張られた。ムウマが大きな目をぱちくりとさせている。
「見つかったの。ありがとう」
 ムウマの先導でたどり着いたのは十畳ほどの和室だった。もともとは客間だったのだろうか。家具のない部屋にぽつねんと棺が置かれ、その傍らには厳しい表情をした五十路がらみの男が正座していた。和装の男は濃い隈にふちどられた目をじろりと寄越し、小さくうなずいた。
「きみがヌエの会の人だね」
「は、はい。タツミと申します」
「そうか。きみも若いな」
 故人のハジメよりかは年を重ねているが、タツミは世間一般でいうところの子供だ。まさか子供が派遣されてくるとは予想していなかったのだろう。男――トシオは頭を振り、気を取り直した。
「それで、本当にハジメをヨビモドシてくれるんだろうね」
「もちろんです。我々は魂呼ばい[たまよばい]のために来たのですから」
 トシオは悲しみにあけくれて腫れ上がったまぶたを閉じ、しばし経を唱えた後、しっかりとタツミを見据えた。
「よろしく頼む」

 ムウマが声を発している。
 タツミは汗をかきかき屋根の一番高いところへ腰を据えた。瓦を踏みあげてしまわないように一歩ずつ慎重に上ってきたこともあって、顔がオクタンなみに真っ赤になっていた。
 ムウマの声は死者を呼ぶ。しかし魂を呼ばうのはタツミの役目だ。ムウマは補佐を兼ねている。なぜならタツミは巫女のような神聖な力を持っていないし、死者の声も姿も見ることができないからだ。魂が体にモドッタことを判定するのはもっぱらゴーストポケモンの了見するところなのである。
「ハジメー」
 両手を筒状にして口に当て、大声で叫ぶ。
 参列者の幾人かが、その異様な光景に目を剥いた。
「ハジメー」
 再び怒鳴る。
 誰かがひそひそ話をする。指までさしている。
「ハジメー」
 声が嗄れるまで何度も何度も呼んだ。そうしているうちにモドッタ、と感じる。視線をムウマにやると、ムウマもまた、モドッタと感じているようだった。こくりとうなずき、体毛をふるわせる。
「よし、下に行こう。葬式を始めるんだ」
 室内は人々でごった返していた。なんとかかんとか押し退けて進んでいく。
 魂呼ばいは決して死者の復活をさしてはいない。いにしえの時代には死とは不可逆的と認識されておらず、死んだ者も魂さえ戻せば黄泉還ると考えられていた。それはあながち間違っていない。肉体的に生き返ることは不可能だが、死者の声を聞くことは可能だからだ。しかし、人には聞こえない。聞くことができるのはポケモンのなかでも限られた、ゴーストと分類されたものたちだけなのである。
 ふすまを引くまえに、タツミは一度深呼吸した。
 まず故人を生き返らせることはできません、と説明されているはずだ。それでも一縷の望みを持っている依頼人を説き伏せるためにもタツミが派遣されている。トシオはどうなのだろうか。息子の死を受け入れられずに、タツミにつかみかかってくるのだろうか。
「失礼します」
 すっとふすまを引く。先ほどと同じように、トシオが棺に付き添っていた。だが、場の空気が明らかに変容していた。ムウマの胸の貴石が淡く光を放つ。
「ハジメは――」
「魂は呼ばれました」
 棺のなかには青白い少年が横たわっている。タツミは少年の顔をのぞき込み、口を開いた。ゆっくりと、一字一字をくぎって言葉をつむぐ。
「きみはどうして死んだの」
 テジマハジメは遊んでいる最中にガケから転落し、死亡した。しかし、父はその見解に不満を感じた。違う、ハジメは危ないところで遊ぶような子ではない。きっと誰かにそそのかされたのだ。そう考えたトシオは、他社の会長からヌエの会という怪しい団体のことを漏れ聞いたのである。
 死者の魂を呼び戻し、死者の悔いや嘆きを聞き出す者たち。料金は高いが仕事は確か。怪しいとはいえその結果には信憑性がある、と。
 トシオはごくりと息をのんだ。目の錯覚か、ハジメの口が動いたように見えたのである。
(はな)(はながさいていた)(ゆるしてもらおう)(そんなつもりはなかった)(いたい)(いたい)(いたい)
 意識が頭になだれ込んでくる。タツミは眉をひそめ、ムウマに目配せをした。できるなら、さらなる深みへ。
 目の前がぐにゃりと歪む。ぐにゃぐにゃ。輪郭がおぼろになっていく。
(おねえちゃんが好きな花)(ガケの近くに咲いてるって教えてもらった)(僕の僕だけのおねえちゃん)(おねえちゃんのリーフィア)(おねえちゃんが出ていってしまう)(リーフィア)(あじさい)(いたい)(あいつ)
 言葉、それから断片的な映像。思い出の濁流。
 ほう、とタツミが息を吐く。なるほど。そういうことか。姉であるカナコの態度にようやく合点がいった。
「きみは死んだのだ。ここにいてはいずれ心がよどんでしまう。去るがいい。心残りはわたしが果たしてあげよう」
 少年の心残り。それはおそらく姉への謝罪だ。安心させるように、しかし威圧しながらタツミは魂に呼びかけた。ここで素直に去ればよし。去らねば――。
 モンスターボールに手をかける。強制的に黄泉へ送るなどしたくはないが、生きている者を優先するのがタツミの信条であり、会社の方針である。ボールをつかむ手に力を込めた時、ふとムウマの輝きが失せた。
 テジマハジメはいなくなっていた。この世に執着がなかったとは思えなかったのだが、やけにあっさりと逝ってしまったものだ。首をかしげながらも、タツミはトシオを振り返った。
「テジマさん。ご息女はリーフィアをお持ちでしたか」
「え……ああ、だがつい最近、心臓発作で死んだよ。カナコが恋人からもらったポケモンだったのでね、ずいぶんと悲しんでいたな」
 しみじみと言い、トシオはため息をついた。
「それで、ハジメは本当にガケから落ちて」
「ええ。間違いありません。彼はガケ近くに咲く花を摘みに行き、誤って転落してしまったようです」
 ハジメ少年の意識が流れ込んできたとき、ガケを見ることもできた。山のガケというものは、慣れた者でも見落とすようなことがある。意識していても崩れやすくなっていれば、あっという間に転げてしまうものだ。急転した視界を思い出すに、ハジメの転落死は明らかな事故だった。
 タツミは退出し、泣き崩れるトシオを残して屋敷を出た。ムウマと共に中庭へ抜ける。ずいぶんと手入れの行き届いた立派な庭である。松の木、池、石、そして鮮やかなアジサイ。
 アジサイの葉を一枚ちぎり、タツミは思案する。草タイプに毒。効果は通常の数倍となる。そしてポケモンの薬の多くは生薬から作られる。いずれ跡継ぎとなる少年なら、あるいは知っていたのか。アジサイか。
「ねえ、ムウマ。恋人からもらったポケモンを弟が嫉妬から間違って殺してしまったとしたら、姉はどうするのかな。好きな花が危ないガケの近くに生えてるって、遠回しに教えたとしたら、弟は間違いなく取りに行くよね。それとも――だとしても、ぼくたちはあの子の心残りをなんとかしてあげるのが役目か」
 カナコを探すのは一苦労だった。ムウマと協力してあちこち探し回り、相変わらずの好奇の目を向けられ、タツミはへとへとになってしまった。暑さもどんどん増してきて、髪の毛から汗が垂れてくるほどだ。
 カナコは家の外にいた。
 大きな楠の下。墓標のような石の側で呆然と立ち尽くしている。
「カナコさん」
 名を呼ぶと、苛立ちを露わにカナコは振り返った。この暑いのに顔が真っ青だった。
「ハジメさんが、ごめんなさいって」
 カナコはなにも言わなかった。無表情で立ち尽くし、かすかな声で「そうですか」とそっけなく言っただけだった。そんなカナコの言動に彼はむっとする。少年と想いを共有したために、彼女のそっけなさはひどく心を傷つけた。
「ゆるしてあげないんですか」
「赦すもなにも、私は関係ありませんから」
「彼はあなたのせいだとは最期まで言わなかった」
「なにを」
「わたくしも言うつもりはありません。それが彼の望みであり、心残りだったのですから」
 はじめてカナコが悲しみの色を出した。それまで恐怖と虚無に満たされていた女に、やっと弟の死が届いたのだ。
(ハジメ)(私がよけいなことを言ったばかりに)(憎しみだけであの子を、危ないと知っていてガケに向かわせた)(もう、あの子はいない)
 ぽつんと地面に水滴が広がった。空を仰ぐと、晴れているのに雨がにわかに降ってくる。ざあざあと雨がすべてを均等にぬらしていく。カナコの泣く声も、葬儀のはじまりを告げる読経の声も、雨音にかきけされる。
 タツミはそっと、あぜ道を戻り始めた。
(ああ)(私は助かった)(助かったのよ)
 最後に届いた女の意識にも振り返らずに。

 事務所は今日も暑い。じめじめとした室内でタツミと、相棒のムウマが机につっぷしている。それを横目で見やり、トウドウは報告書から顔を上げた。
「それで。ちゃんと黄泉送りはしなかったんだな」
 厳しく低い声。トウドウは見た目通りの声を出す。驚くべき巨漢である。齢は四十すぎか。どこをとっても四角い男であった。
 タツミは失敬な姿勢でうう、とか、ああとかうなった。
 数日前のことだというのに文章に書き起こすと、もう何年も前のことのように感じるのが不思議だ。死者特有の顔を思い起こし、タツミはふふんと鼻を鳴らした。
「もしかしたらまた不幸が続くかもしれん」
「どういうことですか」
「未練も執着も恐るべきものだってことだ」
「はあ」
 そんなことは知っている。
 少年は目を閉じ、ムウマのひんやりとする体に手を置いた。
 知っている。知っている。

 アジサイ色の水たまりが、心の底で波紋を広げた。

 ぼくはしっている。

(5657文字)

●作者メッセージ(作:カエル師匠さん)

あまり掘り下げて書いていないのでかなり意味不明だとは思いますが、これは雰囲気小説です。意味不明でいいのです。
盛り上げるどころか盛り下げる短編ですが、自分の味が出ているなあと思っております。