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初版公開:2013年6月16日


●Rainy Ray

 私は梅雨が嫌いだった。
 外を歩けば泥で足は汚れるし、灰と黒の毛皮は雨水を吸って重くなるし、鈍色の空は気分を陰鬱とさせる。
 これだけならば他のひとが梅雨を嫌う理由とそう変わらないと思う。
 けれど私にはもう一つ訳があった。それは

 マスターの夢を奪ったから。

 私とレンとマスターは幼い頃からずっと一緒だった。それこそ私がまだポチエナで、レンはまだヒトカゲで、マスターがまだ小さい子供の頃からだ。
 大きくなったら旅に出てバッジを集めてポケモンリーグに出て優勝する。それが私達の夢だった。旅に出ることが楽しみで仕方なく、私もレンも誰にも負けないようにバトルの練習を毎日積んだし、マスターは日々旅の基礎を学んでいた。マスターに「早く大きくなってよ」と無茶なことをねだったりした覚えもある。
 そしてよく皆で地図を広げては旅の情景を思い描いていた。

 けれどその夢の一歩を踏み出す数週間前のことだった。
 その日もこんな風に空が灰色で覆われ、雨がしきりに降り続いていた。
「いっぱい買ったわね」
「この時期は雨がよく降るからね。天気が悪いのに山道歩きたくないし。何度も往復しないために、買えるときに買い溜めしとかないと」
 私達が歩くのは家へと向かう泥だらけの道。山中に私達の家があるため、町へ行く時はこうして山道を登り下りする。
 ただこの山道は結構歩くのに危険だった。右側が岩壁、左側が急な斜面となっていて、左に落ちたらまず無事では済まないと思う。それでも町へ向かう道はここしかないので、必然的に通ることになる。
 マスターが雨の日は避けたいと言うのはこういう理由だ。ただ今回は食料が尽きかけたので、仕方なくこうして外出している。
「でも、ちょいと買いすぎじゃねえか? 袋ぱんぱんだぞ」
 レンの言う通り、麻の袋には箱や果物の形が浮き出ている。
「重そうだし、いくつか持ってやるぞ?」
 その提案にマスターは、「ううん大丈夫」とかぶりを振った。
「いつ野生のポケモンが飛び出してくるか分からないし、レンとカエデに持たせたら対応できなくなるでしょ」
「うーん、そうだな……じゃあマスター頑張れ!」
「よし頑張るよ」
 そんな漫才みたいなやりとりを交わしつつ、私達は家路を進む。

 その後も特に何が起こるというわけでもなく、雨の音を背景に山道を辿る。家まではあと少しだ。
 ただここからは今までよりももっと荒れた道になる。剥き出しの赤茶色の土肌に、思い思いに伸びた木の根が足下に不規則な起伏を作る。
 そして地面は雨でだいぶぬかるんでいた。
 思わず顔をしかめてしまう。
 マスターと山中で暮らし始めてから数年が経つけれど、これだけは未だに慣れないのだった。
 試しに一歩踏み出す。
 ぐちょっと気味の悪い音を出し、前足が泥に包まれる。
 やっぱりこの感触は嫌いだ。
 マスターとここで暮らして数年が経つけれど、これだけはどうしても慣れない。
「でもそんなわがままは言ってられないわね……」
 そうしている間にもマスターとレンは先へ進んでいく。
 一度頭を左右に振って、不快感を振り払う。
「おーい、カエデ、早く来いよ」
「うっさい。今行くわよ」
 レンにぶっきらぼうに返しつつもう一歩。
 ぐにゅりと足下がめり込む。気持ち悪い。帰って早く洗い流したい。
 でもそのためにはもっと前に進まないといけない。
 なんだか涙が出てきそうだった。
「急いでるわけじゃないからゆっくりおいでよ」
 マスターは顔をこちらに向け、後ろ向きに歩きながら笑いかける。
 その応援はありがたいけれど。
 足下の悪い道でそんなことしたら危ない、
 そう言いかける前だった。
 がくんとマスターの体がよろける。前方不注意による転倒。木の根に躓いて背中から地面へ倒れていく。普段ならば尻餅をついてそれで終わりだったかもしれない。
 けれど今回はそうじゃなかった。
 上半身をのけぞらせたマスターは咄嗟に両腕を振って重臣を持ち直そうとする。
 それが失敗だった。
 手から提げる膨らんだ重い荷物は逆にマスターの重心を引っ張り――急斜の方へと引き寄せられていく。
「っ!」
 短い悲鳴を残してマスターの姿が見えなくなる。
 私の体は勝手に動いていた。
 理性ではなく衝動で四つの足を駆る。もう地面の不快さは気にしていられない。
「おいっ、カエデ!」
 レンの呼びかけには答えず、崖へと身を投じる。
 垂直とも思えるほどの斜面に爪を喰い込ませ、滑るようにけれど決して転倒しないよう走る。
 マスターの位置を確認し、宙へ飛び出す。
 まだ間に合う。
 落下途中のマスターの腕を顎(あぎと)で咥える。
 力が強すぎたのかもしれない。口の中に微かに血の味が広がる。マスターの腕に牙が喰い込んだらしい。
 謝るのは後でいくらでも出来る。優先すべきは助かること。どうすべきがいいか脳内で瞬時に判断。
 ……上ね。
 空中で体を百八十度ひねり、その反動で咥えたマスターを上へ放り投げる。それでもまだレンの元へは届かない。
 ごめんなさい。
 口の中で小さく唱える。そして上下の牙の間にエネルギーを収束させる。球状の形に整え、マスターに向けて撃つ。
 シャドーボールは直線状にマスターの元へ飛び、炸裂する。威力は弱めたつもりなのでそれほどダメージはないにしろ、多少の怪我は負うかもしれない。けれどこのまま落下するよりはマシなはずだ。
「レン、後は頼むわよ!」
「お前はどうするんだよ、カエデ!」
 レンの声が遠くに聞こえる。違う。私が落ちているんだ。両足を動かしてみても、掴めるものはなにもない。
 そして、
 脳に直接響くような衝撃が全身を襲った。
 空咳を吐き体が一度大きく地面から跳ね返る。
 次に背が地に触れたときには――私は意識を失っていた。

 それからどうなったのかはよく分からない。気がついたら麓町のポケモンセンターのベッドの上にいて、至る所に包帯が巻かれていた。
 看護師のラッキーが言うには、右の両足をひどく損傷し、退院しても後遺症が残るらしい。具体的には以前のように俊敏には動けないとのことだった。
「じゃあ、バトルは……?」
「無理だと思いますわ。おそらく歩くのですら精一杯になるかと」
「っ……!」
 じゃあ私の夢は? 今までのレンとの特訓は? 私はこれからどうしたらいいの?
 全部ぶちまけてしまいたい。けれど目の前のラッキーに当たる訳にもいかない。
 これ以上口から毒が出ないように、枕に突っ伏して言葉を塞いだ。

 それから季節が一巡し現在、つまり転落から翌年の梅雨になった。
 私は病室の窓から灰色の空を眺める。ただ雨が降り続け、憂鬱な気分になる。
 怪我は想像以上に重いものだったらしい。
 まず治療に時間がかかり、そしてリハビリはまだ終わらない。足は思うように動かず、まだ満足に歩けない。
 だから一日の多くはベッドの上で過ごすことになる。
 何もしない、何も出来ないというのは退屈だった。
 毎日マスターとレンが見舞いに来てくれるけれど、ずっとというわけにもいかない。どうしても一人でいる時間の方が長い。
 一人でいるとつい思考が暗い方へと向かってしまう。
 こうして私が入院している間にも、マスターの旅立ちは一日一日と先延ばしになっている。それに退院したとしても、もうバトルでマスターの役には立てない。
 これではただの荷物だ。
 だったら私は――、

 マスターといない方がいい?

 こんなこと思ってはいけないのだろう。けれど、どうも塞ぎ込みがちになってしまう。
 視線の先は陰鬱な空模様。このせいかもしれない。
 私が、マスターが落ちたのだって、梅雨だったからだ。
 私のせいじゃない。梅雨が悪い。
 そういうことだと、私は胸の内に言い聞かせる。
 そうして責任転嫁でもしないと、その場で叫び出してしまいそうだった。
「あんまり一匹でうだうだ悩むもんじゃないぜ。そういう柄じゃないだろ」
「そうだよ。僕たちがカエデを迷惑だなんて思ったこと一度もないんだから」
「レン……、マスター!」
 病室の入り口に首を向けると、二人がそこに立っていた。
 手には好物のナナの実が抱えられている。
 二人は机にそれを置くと、ベッド横の椅子に腰かけた。
「カエデがいなかったら、今頃僕は死んでたか、良くて病院のベッドだったと思う。カエデのおかげで助かったんだ。だから絶対にカエデが悪いなんてことはないんだ」
「マスターの不注意がいけなかったんだろ?」
「そんなストレートに言わなくても。でもその通りだ。だから自分を責めないで」
 マスターが優しく背中を梳く。
 それは気持ちよく、落ち着いた気分なれる――のだけれど、
「でも、私はもうバトルが出来ない。皆でリーグ優勝する夢は叶わなくなって――」
「考えたんだけどさ」
 私の言葉を遮るように、マスターが台詞を重ねる。
「何もリーグ優勝を目的にする事だけが旅じゃない。大事なのはカエデとレンと旅を出来ること。今までにない体験をいっぱいすること。そういうことだと思うんだ」
 一呼吸おいてマスターは続ける。
「さっき聞いたんだけど、もうすぐ退院してもいいって。あんまり長くここに居すぎても精神上良くないし、ぎこちなくても歩けるなら外に出た方がいいって。カエデもつまらないでしょ? だから」
 背をなでるのを止め、マスターは私の前に手を差し出す。
「一緒に行こう。僕達はカエデと旅をしたいんだ」
「しっかりもののお前がいないと、俺達迷走しちまいそうだしよ」
 四つの目が私を見つめる。
 子供の頃からの夢は果たせないかもしれない。バトルに出ることはきっともう出来ない。けれど、マスターとレンがそう言ってくれるのなら、そしてなにより私がマスターとレンと一緒にいたいから。
「ええ。楽しい旅にしましょう」
 マスターの手を取り、鼻先を甲ににつける。
 目元から滴が落ちるのは決して泣いてるからじゃない。 梅雨が、降り続ける雨が私にも伝染ったからだ。

 やっぱり梅雨は嫌いだ。

 声には出さずそっと呟く。
 なんだか一年振りに笑えた、そんな気がする。

 開けっ放しのドアの向こうからテレビの声がする。
 もうすぐ梅雨が明ける。そうキャスターが明瞭な声で告げていた。

(4110文字)

●作者メッセージ(作:穂風湊さん)

こんにちは、引き続き穂風でした。
複数応募可と聞いたとき、何か出来ないかなと思った結果、毛色の違う2作品を投稿してみようと思いました。
「同じ作者だったのか!」と驚いて下さったのなら、狙い通り、嬉しいです。

"Ray"は「一筋の光」を意味します。
それは希望の光だったり、梅雨明けの太陽の光だったり。はたまたこれからの旅立ちの指針かもしれません。
個人的には、タイトルの語呂がいい感じになって気に入ってます。