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初版公開:2014年9月30日


●夏、思い出すのは凍った街に見た一会

▼ 作:GPS さん

 蒸した空気に風が吹く。

「はいよ、かき氷。もうどの店もかなり並んでるよ。普段だったらみんなこんなの食べないくせに」
「お祭りだからね。特別感とかあるんじゃない?」
「まあな。そう言っている俺たちだってそれに乗せられてるわけだし」
 彼が渡してくれた紙コップに盛られた氷を一口掬う。熱くなった口の中であっと言う間に溶けてしまったそれは、薄まってはいるけれども確かにロメの味がした。食べ終わる頃には下が緑色になっているんだろうなあ、とわざとらしく色づけられた氷を見てぼんやり思う。
 ズリのシロップがかかったかき氷を食べている彼の唇は早くも赤く染まっている。その様子が小さな子供みたいでおかしくて、私はこらえきれなかった笑みを漏らした。
「なんだよ」
「なんでもないよ」
「笑ってんじゃん」
「……口。アーケンみたいだけど」
「えっマジ」
 彼が慌てて腕で口を拭う。本当に子供みたいだ。赤く掠れたように色づいた彼の手を見てそう思った。
 昔ながらの街並みを、街路樹に吊された籠に灯った火が照らす。大通りのずっと先から聞こえてくる太鼓と笛の音色に混じって、ケンホロウの鋭い声が日を落とした空に響いた。夜行性では無いポケモンも、お祭りの日ばかりは夜更かしなのだろうか。
 それをかき消すように、人の喋り声とポケモンの鳴き声が街中に溶けていく。射撃の屋台で、景品のみがわり人形が本物のみがわりだったと騒ぐ店主と客をすり抜けて、ゾロアークが走り去っていった。わたあめを頬張っていた浴衣姿の女の子がぶつかったらしく、そのまま転んでしまい泣き出す。急いで駆け寄り女の子をあやしだしたナゲキはハリマロンのお面をつけていた。
「みんなすっかりお祭り気分だな」
 隣の彼が呆れたように、だけど笑って言う。それに頷いた私の頬を、風がまた撫でていった。しゃくりしゃくりとスプーンを入れるたびに薄緑が広がる氷、それを持つ手がひんやりと冷える。つめたさが口の中で消えていく。
「涼しいね」
 ぽつり、と呟いた私の言葉に彼が「そうだな」と小さく言った。涼しいね。私はもう一度言う。
「夏なのに涼しいと、思い出しちゃうよ」
 今度は彼は何も答えなかった。返事の代わりなのか、黙ってかき氷を一口分スプーンで掬う。掬われた氷は彼の口に入ることなく、暑い空気に溶けていく。プラスチックのスプーンから薄赤色の水がこぼれ落ちて、地面に小さな染みを作った。
「もう、十年も前になるのかな」
「……お前、その話毎年してるよ」
 今度は彼が返事をした。紙コップを握りしめて、スプーンを持った手を止めたままの彼の視線はお祭の賑わいに向いているはずなのに、それでもどこか違うものを見ているように思った。「毎年、必ず言うんだ」彼が私の方は見ないまま言う。
「うん。そうだね」
 私も彼から目を逸らして、灯籠の光に浮かび上がる街に視線を移す。それを少し眺めて、目を瞑った。
 毎年、必ず。その通りだ。私は毎年必ず思い出す。
 それはきっと私だけじゃない。隣にいる彼もきっとそうだし、今ここにはいない、彼らも。
「涼しい、夏だったね」

 あの夏はとても涼しかった。
 涼しいというよりも寒い、という表現の方が適切だろうか。

 十年前、このソウリュウシティは凍りついた。
 全てが終わった今となっては、プラズマ団という新興宗教団体だかNPOまがいの組織だかが起こした、ジャイアントホールで眠っていた伝説のドラゴンの力によるものだったということがわかっている。かなりざっくりとした情報で、何故そんなことが起きたのかとか、どうして伝説のポケモンを見つけ、あまつさえ力を利用するなんてことが可能だったのかなど気になる部分は沢山ある。それでも原因だけは伝えられているが、当時のソウリュウに住んでいた人、そしてイッシュの住民たちは何も知らなかった。
 思えば、兆候のようなものは幾度も起きていたのだ。ポケモンリーグが謎の崩壊を迎えてから見られた局地的な寒波や、イッシュ全体にあった気温の低下。それでも、そんなのはたまに起こる異常気象ということで済まされていて、イッシュも、ソウリュウもまだ平和だった。
 そこに起きたのが、ソウリュウの凍結だったのだ。
 こおりタイプを専門としているポケモンジムは他の地方にいくつかあり、イッシュにも昔はあったという。ポケモンジムはどこも自分の専門タイプをアピールするような内装になっており、例えばでんきタイプのジムなら電力を惜しみなく使ったエレキテルな仕掛けがいっぱいだったり、みずタイプならプールの上や中で戦うようになっていたり、逆にほのおタイプならば、どういう素材でジムが出来ているのかは不明だけど、プールの水の代わりにマグマが入っていたりする。そしてこおりタイプジムならば壁から床、天井すらも氷や雪に覆われているということだ。
 あの日のソウリュウシティは、まさにこおりタイプのジムみたいだった。
 しかも規模が違う。建物一つの内部だけなんてものじゃない、あの日にソウリュウへ降りかかった力は、街一つを丸ごと氷の世界に変えてしまうほどだった。それに、ジム一つだけを氷漬けにするのでもジムリーダーやジムトレーナーたちの持つ、強いポケモンたちが協力して何日もかけて作るものだ。それをあの力はたった一日で、いや、街の人々が異変を察知する暇もないほんの一瞬で成し遂げてしまったのだった。

 街はパニックになり、住民たちは何もわからず右往左往するばかりだった。幸い、シャガさんやエリートトレーナーの方々が的確な指示により街の統率をとってくれ、また他の地方からの援助がすぐにあったために大混乱は避けられたものの、街は暑い夏から一転、自分すらも凍りついてしまうような寒さに陥った瞬間から変わり果てた。
 古の空気が残る街並を望む観光客の姿は掻き消えた。もはやそれどころではないと、旅に出られるはずだった10歳の新米トレーナーたちはソウリュウの外だけではなく家の外にすら出してもらえなくなった。夏祭りなど、当然中止になった。落ち着いた街に暮らす穏やかな人々は、あまりの寒さに険しい顔つきに変わっていった。家も店も学校も、つららでかたまった窓を固く閉ざして開かなかった。
 街は、まさに凍りついてしまったのだ。

「……おい、なんでお前出歩いてるんだ」

 滑らないように注意して、凍った道を踏みしめ歩く13歳の私に声をかける者がいた。明るい茶色に染められた髪と肌以外はモノクロで統一された服装だ、身に纏う制服の形だけを見るならばポケモンレンジャーやエリートトレーナーの類に見えなくもないが、カラーリングがそれとは違うことを示している。
 プラズマ団。詳しくは知らないけれど、この頃、ソウリュウが凍る少し前から頻繁に姿を見るようになった人たちだ。グレースケールのコスチュームに身を包んだ彼らはどう考えても怪しかったが、捕まえようにもその理由が無かったらしい。何かを見張るように、何かを待機するように街をうろつくその団体は話しかけたり見たりするとポケモンを使ってこちらを攻撃してくるから、近寄らないようにするに限ると暗黙の了解が広まっていた。

「なんでここにいるんだ。子供一人で……危ないからやめろとか言われてないのか」

 団員なのだと思しき男はそんなことを言いながら、警戒するように私と距離をとる。ボールから出されたチョロネコを見る限り臨戦状態ということか、たかが女子中学生相手に……。若いとはいえ立派な大人なのではないか。
 そんな私の視線に気がついた男は、「いや、違うんだ」と弁解するように言う。

「お前くらいの年頃の女で、すごく強い奴がいてな……気をつけるよう言われて……いや、そんなことはどうでもいい。もう一度聞くぞ、危ないとか出ちゃ駄目とか、お家の人に言われてないのか」

「そんなこと、言ってる場合じゃないんだよウチは……やることないからふらついてるの」

 私の一家は、11番道路の方できのみ栽培をして暮らしている。それがこの現象でどういうことになったかなんて、火を見るよりも明らかだろう。
 父も母も、一言も口を聞かずに部屋の中で項垂れている。この後どうすれば良いかなんて、私達家族には見当もつかなかった。ただ、両親と一緒に部屋に篭っていると家の中までが完全に凍りついてしまいそうで、私は一人、この組織以外に出歩く者のほとんどいないソウリュウシティを徘徊していた。あまりよろしくない行動だとはわかっていたけど、私を止める人はいなかった。

「きのみ畑やってるからさ、この寒さのおかげで、暇で暇で」

「…………」

 わざと明るい声色で言ったのに、男は苦い顔をして黙り込んでしまった。白く染まった街に沈黙が落ちる。人もポケモンもいなくて、ああ、この街はこんなに静かになれるのかと場違いな感動を覚える。綺麗な静寂だ、みんなも外に出て感じてみればいいのに、なんて馬鹿げたことを考えた。
 男が黙ったままなので、私から口を開くことにする。「ところで、あなたは何をしているの」と尋ねた私の首元を冷たい風が走った。私に言わせれば男の方がうろついているように見えた、同じ服装の奴らは皆、ポケモンセンター付近やジムの周りなど、人の集まりやすい場所を見張っていたのだから。こんな、閉きられた学校などという誰も来ない場所を見張る必要など皆無だろう。

「ちゃんと活動してるようには見えないんだけど」

「……まだ若いのに目ざといな」

 常識的に考えて、いくら得体の知れない組織相手とはいえかなり失礼な部類に入る質問に男は肩を竦めた。は、と自嘲するように息が吐かれる。8月だというのに白さを持ったそれは凍った街へと消えていった。

「ご名答、お前の言う通りだ。俺はこの頃……いや、もう一年ほどはまともにプラズマ団に参加してない」

「なんで?」

「よくそんなにずけずけ聞けるな……流石子供とでも言うか……」

「することないし、話し相手もいないから。折角見つけたから話とかないと」

 なんでも無い風に言ってのけた私を、男はじっと見つめた。マスクで半分以上が隠された顔から覗く、二つの瞳がこちらに向く。数秒の間をおいて、男はふいと視線を逸らして呟いた。

「俺がプラズマ団に入ったのは、あの人に憧れたからだ。だけどもあの人は二年前に消えてしまった……レシラムに乗って、空に溶けてしまった」

「…………」

「あの人を追いかけるのだと、プラズマ団をやめる奴もいた。だけど俺は残ったんだ、プラズマ団にいれば、あの人の望んだものがわかるのではないかと思って」

「………………」

「だけど、一向にわからなかった。それどころか、……それどころか、俺は自分が何をしたいのかすら……」

「…………その、『あの人』が望んだものって何なの?」

 項垂れてしまった男に何を言うべきなのかわからず、私は適当な質問をする。別にそんなことはどうでも良かったけれど、何か言わないとこの静けさと寒さに負けてしまうように思ったのだ。
 言葉と共に浮かんだ白が夏の青空に溶けていく。とても小さな、だけれどもこの静寂の中では十分聞こえる声で男が答える。

「真実と、理想だ」

「は?」

「真実と理想。N様はいつでもそのために行動していた。N様にとっての真実とは何なのだろう。理想とは何なのだろう。俺はそれを知りたかった。それを理解したくて、プラズマ団に入ったんだ

「………………」

「しかしわからなかった。わからないまま、今になってしまった。N様が消えた今、もはやそれを知ることは出来ない……」

 そう言って、また男が黙り込んでしまう。俯いた顔は前髪とマスクに隠されてよく見えない。だけど、片手で顔を押さえる背中は随分と小さく感じられた。
 まるで、このまま放っておいたら氷と一緒になってしまいそうな。この、ソウリュウを凍りつかせて、少しずつ太陽で溶けてしまうこの氷と。
 ねえ、と私は声を出す。顔を上げた男と私の視線が交差する。

「真実とか理想とか、抽象的すぎてよくわからないんだけどさ」

「…………?」

「この寒さは、あんたのチョロネコを震えさせるようなものだっていうのが真実で、理想はチョロネコが暖かくなれることじゃないの?」

「………………、」

「私だってよくわからないけど。でも、私は、そういうことなんだと思う」

 そう言った私を、男の見開いた目がじっと見る。大きく揺らいだそれを察したのか、寒さに震える身体でチョロネコが足に寄り添いながら心配そうに鳴いた。男の視線がそちらに移る。
 男は、それ以上何も言わなかった。私も、それ以上何も言うことは無かった。
 どれほどの沈黙があったのかは定かではない。男と同じような服装に身を包んだ人がいくらか走ってきて、焦ったような声と共に男を連れて行った。いつもならば追い払われる存在の私に目を向けることすらないその様子は、何か異常事態なのだということを否応なしに伝えてきた。
 みるみるうちに遠くなる男の背中をぼんやりと見送って、もう外にいる気にもなれなかった私も家に帰ることにした。道中、マフラーが冷たい夏風にさらわれそうになってそちらに向けた視線の先に女の子の姿を捉えた。
 二つに結えられた長い髪は頭の上部でお団子にされている。ミニスカートの下に履いたタイツとスニーカーは活発な印象で、私と同い年かもしかしたら年下かもしれないように見えた。凍りついたソウリュウシティへと入っていく彼女の姿から目を離す。顔までは見えなかったし、見る必要も無いと思ったのだ。白い道を踏み、私は静かになってしまった家へと帰り着いた。

「N様は、元気にしているだろうか」

 今はもう黒髪の彼がぽつりという。私のことを言う割には自分だって毎年同じことを呟くのだ、かつて慕った王様の行方は誰にもわからないから。訪れて数日もしないうちにソウリュウシティの氷はすっかり溶けた、一瞬だけ見えたあの女の子がどこに行って何をしたのかは私にはわからないし、彼は自らそれを知ることを辞退した。活動から抜けて、チョロネコの療養のためホウエンに行ったという。彼が戻ってきた時には、泣き顔を晒して、何もいらない、自分にきのみ栽培を手伝わせて欲しいと私の家族に頭を下げにきた時には既にソウリュウの氷は溶け、Nと女の子の行方を知る人はいなくなっていた。
 あの夏に出会った頃のように、握りしめた彼の拳は何かを求めるみたいに震えていた。その拳が開いた掌が掴みたかったものは、きっともう二度と私達の前に現れないだろう。
 虚を掴むだけの拳に、そっと手を添える。時を経てレパルダスへと進化した彼の相棒も、しなやかな身体を彼の足に巻きつけるようにして優しく寄り添った。
 彼が視線を、今に戻す。足元を見て、次にこちらを向いたその瞳はお祭りの光を映してゆらゆらと揺れていた。灯された火をじっと見つめ、私は力の抜けた彼の拳を両手で包み込む.

「元気だよ」

 笛と太鼓の音と喋り声と鳴き声とその他諸々、蒸し暑いソウリュウシティに響く音たちに負けないようしっかりと言う。私の声など、射的屋の呼び声か迷子クマシュンの泣き声に掻き消されてしまうほどだろう。だけど、彼にはちゃんと聞こえているはずだ。小さく頷いた彼に、もう一度言葉を重ねる。

「元気にしてるよ。Nさんも、あの女の子も」

 屋台の煙の向こう側に透けて見える星空に、あの白いドラゴンポケモンが飛んでいくだなんてご都合主義な展開など起こりえない。あの黒いドラゴンポケモンが風に乗り横切っていくだなんて物語みたいなことはありえない。瞬く星の間を縫って飛翔しているのはせいぜいマメパトやハトーボー、エモンガくらいのものだ。
 もう、多分絶対に、彼や彼女を見ることは無い。イッシュに伝わる二匹の英雄もまた同じだ。だけど、元気にしているだろうと根拠もなく思う。

「暑い夏の中、ちょっとだけ涼しい。真実と理想だよ。その二つが揃ってる限り、きっとみんな元気でやってる」

「…………そうだな」

 ゆっくり首肯した彼の手を引っ張って、ねえ、焼きそばとヒメリ飴とわたがし食べたい、と急き立てる。ちょっとだけ驚いた顔のあと、彼がからかうように言った。食いしん坊、との声には聞こえないフリをする。
 お祭りはいよいよ大盛り上がり、捩りハチマキの男性がドテッコツと共に鍛えられた腕で太鼓を打ち鳴らす。バスラオ釣りの屋台では、オーベムがエスパーわざで不正をしたのなんだので揉めている。簡易ベンチと机が設けられた休憩所では、町内会役員のおじさんとエンブオーが飲み比べの真っ最中だ。
 十年前に凍った街、ポケモンは今もまだ人の隣にいる。遠い遠い昔、誰かが仲間とした彼らは私達と共に過ごしている。それはきっと、空に消えた彼や彼女の描いた真実で、理想なのだろう。
 彼と繋いだ手は湿気のせいですぐに汗ばんでしまったけれども、夏なのだから仕方ないことだ。この暑さだって、無くなったら恋しくなる大切なものなのだから。賑わいの中に戻りながら、彼が汗をぬぐって微笑んだ。

「暑いなあ」

「うん。でも、ちょっとだけ涼しいよ」

 熱気の中を滑って吹いた冷たい風が、私の首筋をくすぐった。