【夜なき亭おしながき】| TOPAbout| Introduction| NovelsDiaryContest 2012Event 2013Event 2014| Links

初版公開:2014年9月30日


●ヨミヨミウチ

▼ 作:赤星 さん

 いくら旅の者とはいえ、盆と正月くらいは実家に帰りたくなるのが人の心というものだ。そう考えるのはどうやら俺だけではないようで、地元の盆祭りの時期になると必ずと言っていいほど幼なじみと顔を合わせることになる。普段は俺と同じく旅のトレーナーとして同じ地方を飛び回っているはずなのに、道中では決して奴と鉢合わせるということがない。時たま、風の噂で奴の話を小耳に挟む程度だ。恐らくはあいつも似たようなものだろう。
 腐っても旧い友人だ。お互いの近況とかポケモンたちの練度とか、話題は多くあるはずなのだが、奴はいつも口を開く前ににやっと口角を釣り上げて「やろうぜ」とボールを構えるのだった。それに応える俺も俺で、奴と似たもの同士だ。直接相手から聞くよりも、ポケモンバトルをした方がずっと話が早いのは、俺たちがポケモントレーナーゆえの性だろう。
 今年も奴はじりじりと蒸し暑い空の下、挨拶なんて一切抜きでボールを俺の胸の前に突き出した。幸いにもここは程よい広さの川縁、東側には幼い頃によく遊んだ小さな川が流れている。人通りもそう多くなく、ひと暴れするにはうってつけの場所だった。
「ルールはシングル、使用ポケモン一体。時間無制限。道具は?」
「悪い、今手ぶらだわ」
「じゃあなしな。行くぜ、オンバーン!」
 日が西に傾き始めた空を背に、夜の色を混ぜ合わせた漆黒の翼が大きく広がる。目に鮮やかな緑色の皮膜は、夏の青々とした木々の葉と比べても遜色ない。スピーカーのように集音、拡散に優れた半円状の大きな耳殻は、音波を用いた攻撃を得意とするオンバーンの要だ。
「新顔だな」
「まあな、期待のルーキーだ」
 対する俺の手札はエレザード。目を灼くサンライトイエローの体毛とは対照的に、頭部、両手足は黒く染まっている。首元を覆う襟巻きは子どもが描くデフォルメ化した太陽のようにも見えるが、戦闘中はこれが開くことで太陽光を吸収し発電を行なう。エレザードは俺の手持ちの中でも古株で、幼なじみの姿を見ると嬉しそうにぴょんぴょこ跳ねた。コンディションは悪くない。
 どちらが言い出すでもなく、俺たちは目測で公式戦規定バトルフィールドくらいの距離を取った。少し小さくなった幼なじみが挑戦的に俺へ向かって指を差す。
「今日の一戦で勝ち越しさせてもらうぜ」
「そう簡単にさせるかよ。またイーブンに引き戻してやるから安心しろ」
 俺は足元の小石を拾い上げながら奴の挑発に乗ってやった。合図はいつも同じだ。適当に投げた小石が地を叩く瞬間に、勝負が始まる。
「オンバーン、“かえんほうしゃ”!」
 戦いの火蓋を切って落としたのは、オンバーンから放たれる紅蓮の鞭だった。オンバーンとの距離を詰めようと前進していたエレザードは身を捻って回避を試みるが、まるで意思を持つかのようにうねる炎の蛇は、エレザードを執拗に追いかけ回す。相棒には悪いがいいコントロールだ。よく育てられている。
「お前のエレザード、乾燥肌だったな! 炎はちょっと痛いだろ?」
「わかってるならやめてくれよな」
 エレザードという種族は個体によって三つの異なる特性を持つが、俺の相棒はその中でも比較的メジャーな乾燥肌だ。日照りや炎に弱く、雨には強い。事実上、タイプによる弱点が一つ増えたようなものだ。おまけに今日は最高気温三十度超えの晴天日。日中のピークを過ぎて少しずつ日差しが和らいできてはいるが、立っているだけで汗が噴き出してくるような暑さだ。太陽光が強いということは発電速度が早いということだが、同時に体力の摩耗も激しい。エレザードにとっては一長一短の環境下だ。
 肺の中身を吐き切ったのか、オンバーンの炎が途切れた。好機と言わんばかりにエレザードが飛び上がる。彼は襟巻きをパラボラよろしく広げ、放電の準備を始めていた。しかし、次の攻撃の準備をしていたのはエレザードだけではない。オンバーンの口内にも既に炎の舌がちろりと覗いていた。第二波。回避は間に合わない。
「“そうでん”!」
 至近距離から放たれた炎に、エレザードの全身が包まれた。絡み合った電流のレースと炎のドレープを広げ、黄色い貴婦人が宙を舞う。ドレスの襟を開いたまま、エレザードの青い瞳はしっかり漆黒の王子を見据えていた。
「“かいでんぱ”!」
 エレザードは宙吊りの体勢から不可視の電波を吐き出した。オンバーンは優れた聴覚器官を持ち、自らも音を操る術に長けている反面、音を用いた攻撃に弱い。“かいでんぱ”は音そのものを発する技ではないが、オンバーンまで届けば内耳の中で電気信号が炸裂、音が爆発する。攻撃力を下げるという技そのものの効果はおまけで、真の目的はオンバーンの聴覚を潰すことだ。
 炎が直撃したと油断していた幼なじみにはオンバーンへの指示は間に合わない。これは貰ったと思ったが、オンバーンがとっさの機転で聴覚器官から爆音を放ち、エレザードを弾き飛ばした。空中で双方の技が弾け、破裂音が鼓膜を叩く。
 今のは“ばくおんぱ”か。タイミング的に奴の指示が間に合った風ではないので、オンバーンが反射的に打ち出したものだろう。しかしながら練り切られていない不完全な状態で技が発現したおかげで、エレザードへのダメージは軽微で済んだ。
「オンバーンに救われたな」
「マジでな! ファインプレーだぜ、オンバーン!」
 彼はこちらの嫌味にもまったく悪びれることなくオンバーンを褒めちぎる。“ばくおんぱ”まで習得しているとなると、オンバーンのレベルは大分高いと見て間違いはないだろう。四肢を使って落下の衝撃を殺すエレザードと俺に向かって、奴はにんまりと口角を釣り上げる。
「それに、今のでピンときちゃったぜ。お前があのタイミングで打たなかったってことは、めざパが残りの二枠に入ってねえってことだ。電気技と、サブ一つ――“なみのり”とか“くさむすび”ってところだな」
 図星だった。引きつりそうになる頬を努めて平静に保つ。元々俺のエレザードは氷の素質に恵まれていないため、電気タイプの技と相性補完に優れる“めざめるパワー”を採用していなかった。ポケモンバトルは基本チーム戦なのだから、一体のポケモンの役割を多くして負担を増やすのは俺の好みじゃない。しかし、こういう一対一の場合は決定打に欠けることも少なくないのが玉に瑕だ。
「身内読みは練習にならんぞ」
「お前の相手はいつだってガチだっつの」
「そいつはどうも」
 エレザードのメインウェポンは“かみなり”だが、この雲の少ない状況下では素早いオンバーンに命中するかどうかも怪しいところである。さて、どうしたものか。何か使えるものがないか、視線だけで周囲をぐるりと見回す。
 夏。うだるような暑さ。水辺。レベルの高いオンバーン。
(もしかしたら)
 確証はないが、試してみるのも悪くはない。そうでなければ負けるのだ、奴に勝ち越しされることだけはどうしても避けたかった。
「そら、“りゅうのはどう”だ!」
 調子に乗った奴の指示で、オンバーンが青白いブレスを吐き出した。さすがにタイプ一致の技は“かえんほうしゃ”と比べて練度が違う。エレザードの全速力でも回避できるかは怪しいところだ。
「“なみのり”でかわせ!」
 エレザードは川の水を引き寄せると、粘度の高い先端部分に飛び乗って陸を泳いだ。そのすぐ後ろを青い炎が追いかけてゆく。地を這うほうき星の尾に炎が触れる度、それは音を上げながら蒸発して尾がやせ細っていった。エレザードの通った跡が土に吸い取られ、じんわりと黒く染まっていく。
 俺は右手を大きくぐるりと回して背後を取るように指示を出した。回し終えた手で小さく天を指す。エレザードは俺の合図に気がついたのか、目だけでしかと頷いてみせた。最後に残った水の足場を蹴って大跳躍したエレザードは、オンバーンの背中に飛び乗る。体長はオンバーンの方が大きいとはいえ、ポケモン一体分の荷重はバランスを崩すには十分であるらしい。
「振り払え、オンバーン!」
「逃すかよ、“かみなり”!」
 宙でじたばたと暴れるオンバーンの上空に濃い色の雲が集まり始める。オンバーンの背に乗ったエレザードが襟巻きを広げた。――だめだ、やはり集まりが悪い。ぴしゃりと閃光が落ちるよりも早く、オンバーンがスピン回転でエレザードを振りほどく方が早かった。金色の剣はオンバーンへ切先をかすめるに留まる。切先が埋まった焦げ跡からはかすかに煙が立ち上った。エレザードが呼んだかみなり雲はおぼろげに上空を漂っている。
「四つ、晒したな。俺の予想通りだ」
「そっちだってほぼ四つみたいなものだろ。“ばくおんぱ”まで覚えてて、あれを仕込んでいないはずがない」
 俺は挑戦的に幼なじみとオンバーンを睨めつける。正直なところ、この対面と戦局であいつが四つ目の技を晒すメリットは薄かった。俺だったらまあ余程のことがない限り撃たない場面だ。
 だから挑発して誘導する必要があった。あいつは負けず嫌いだから、こう言われたら乗らない道理はない。
「撃ってこいよ。あるんだろ、とっておき」
「……言ったな、こんにゃろう」
 案の定、一本釣りだった。トレーナーとして駆け引きが苦手というのは不安要素でしかないが、ちょろすぎて拍子抜けするほどに御しやすいところは奴の美徳の一つだ。特に、俺がいろいろ悪さをしやすいという点において。
「お望み通りだ、“ぼうふう”!」
 オンバーンが翼を広げ、前方に風を送った。その力強い羽ばたきは向かい風となり、強風となり、目も開けられないような暴風となる。やがてオンバーンが生み出した小さな竜巻は、容赦なく俺たちに襲いかかった。俺は片腕で目をかばいながら姿勢を低くして、強風をやり過ごす。エレザードも四肢で地面を掴み、なんとか身体が浮いてしまわないように踏ん張っていた。
 元々“ぼうふう”は飛行タイプの技の中でも練度の高いポケモンしか扱えない技だ。しかしここまでの風を数度の羽ばたきで練り上げるとは、よく育てられているとつくづく感心する。誰に対しても正面からぶつかっていける力を持つ幼なじみに対して、策を弄することでしか対抗できない自分の力量の低さに苦いものがこみ上げた。
 あいつの強さが羨ましい。だから、負けられないのだ。策を弄してなお負け姿を晒すなんて、恥の上塗りどころの話じゃない。俺はあいつの背中を見て走りたくはない。幼なじみとして、ライバルとして、肩を並べて競い合える存在でありたかった。
「堪えろよ、エレザード!」
「自分から煽ってきておいて打つ手なしか、焼きが回ったな!」
 幼なじみは身動きの取れない俺たちの様子に得意げだ。俺は顔の前に掲げた片腕の陰で空を仰ぐ。今まで晴天だったそこには、エレザードが呼び寄せたかみなり雲に引き寄せられるようにして少しずつ黒雲が集まり始めていた。やがて、ぽたりと雫が落ちる。
 ついにエレザードの身体が強風に煽られて宙に浮いた。好機と言わんばかりにオンバーンが風を起こすのを止め、エレザードに追いすがる。風に我が子を攫われたかのように、さめざめと空が泣き始めた。
「“ばくおんぱ”!」
「“なみのり”だ!」
 エレザードを起点とした攻撃技がないことを知っているからか、目の前でオンバーンが胸を反る。しかし、〈突然〉の雨も手伝ってこちらの水技の伝達も早い。エレザードは自分ごとオンバーンを大波で押し流し、技の直撃を避けた。もちろん、余波は俺たちトレーナーにも容赦なく浴びせかけられる。水の壁の中でオンバーンの放った音が泡となって溶けた。
「エレザード!」
「オンバーン!」
 俺たちの指示はほぼ同時だった。
「“かみなり”!」
「“ぼうふう”!」
 互いに必殺の一撃と、エレザードとオンバーンの雄叫びがこだまする。どちらも雨の下では命中率の上がる技だ。しかし、いかんせん“ぼうふう”の始動はオンバーン自身に依存している。――光の速さに、敵うはずもない。
 天から串刺しにされた空飛ぶ獣は、悲痛な声を上げながら地に縫い止められた。まだ立ち上がろうと首を上げるオンバーンに対し、エレザードが情け容赦なく二撃目を叩きこむ。今度こそオンバーンがぐったりと動かなくなり、俺たちの間には強い雨が地を叩く音だけが響いた。
「オンバーン!」
 目を回して気絶するオンバーンに、幼なじみが慌てて駆け寄る。エレザードもそれまでに負ってきた細々としたダメージが蓄積していたのか、気が抜けたようにその場に座りこんでいた。労いの言葉をかけながら雨で潤った肌を撫でてやる。エレザードは気持ちよさそうに目を細めながらされるがままだった。
「大丈夫そうか、オンバーン」
「おう、ちょっと休めばすぐだ」
 俺たちに背中を向けている幼なじみの声は、少しばかりふてくされて聞こえる。オンバーンをボールに戻し、振り返った彼の顔はやはり膨れ面だった。
「これでまたイーブンだな」
「してやられた! 急に夕立さえ降らなきゃイイ線行ってたって!」
「まあな。だから降らせたんだ」
 俺もエレザードをボールに戻しながら立ち上がる。夕立と先の“なみのり”で、下着まですっかりずぶ濡れだ。奴も似たような状況なので、俺たちは夕立の中をぶらぶら歩きながら診療所まで歩き始めた。地元でポケモンの治療ができるのは町中の小さな診療所しかない。
「夕立の発生条件は三つだと言われている。地上が熱く、上空は冷たいこと。多湿であること。そして、上昇気流が発生することだ」
 今日は元々暑い日だったし、オンバーンが“かえんほうしゃ”や“りゅうのはどう”で散々炎と熱をばら撒いた。エレザードが“なみのり”で周囲を湿らせた。そして、挑発に乗ったオンバーンが“ぼうふう”で空気をかき混ぜた。エレザードがかみなり雲を呼び寄せていたこともあり、夕立を前提とした攻撃を組むのは悪くない賭けだった、ということだ。俺の説明に幼なじみは両手を頭の後ろで組んで空を仰いだ。足の爪先を大きく振り上げたせいで泥が方々にはねて行く。
「つまり、俺はまんまと一杯喰わされたってわけか」
「お前さんには泥団子でも食わさなきゃ勝てないんでな。俺がああ言えばお前は必ず挑発に乗ってくれるだろうし」
「なァにが『身内読みは練習にならない』だよ! お前だって身内読みしまくりじゃんか!」
「オンバーン相手は何度か戦ったことがある。習得技くらいは予想がつくさ。それに、お前だって言ってたろ。『お前の相手はいつだってガチだ』って」
 ポケモンバトルの腕前は五十歩百歩だが、口の巧さに関してだけは俺に一日の長がある。自分の台詞を反復され面白くなさそうに眉を寄せた幼なじみは「あ」と突然幼い声を上げた。
「そういえばまだ言ってなかったな」
「……ああ、そうだな。いつもお前が先におっ始めるからな」
 幼なじみが出し抜けに俺の肩を抱く。たっぷり水分を吸い取った服が肌に張り付いたが、不思議と不快感は抱かなかった。俺の横で幼なじみが太陽に負けじと満面の笑みを浮かべている。これだから、俺はこいつには勝てないのだ。局地的な夕立はすでに小降りとなっており、雲の隙間から細く伸びた日差しが、俺たちの歩く道を赤く照らしていた。
「久しぶり。元気そうで何よりだ」
「そいつはどうも。お前も変わらず元気そうだな」