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最終更新:2013年6月21日(第二版)


●あまやどり

 目が覚めたとき、ハクタイのもりは雨でした。

 木々の下のやわらかな草に体をあずけて眠っていたときのこと。リーフィアは夢の中で森の声を耳にしました。なにやらざあざあと、いつもとは違った声が聞こえます。今日は風さんが来ているから、いつもと違う歌を歌っているのかな。夢の中の眠たい頭でふと思います。けれど心地のよいその音は子守唄になって、リーフィアをふたたびまどろみの中へといざないます。リーフィアは流れてゆく歌に耳をかたむけながら、すうすうと眠りつづけました。

 ぴちゃん。ぱたたっ。
 それからしばらくして、冷たい指をしただれかが、リーフィアのほっぺたをつんつん叩いてそっと起こしました。びっくりしてリーフィアは跳ね起きました。冷たい感触が残ったほっぺたに前足でそっと触れると、なにやらしっとり湿っています。重たい瞼をこすって見上げれば、眠る前には降っていなかった雨がいつの間にかざあざあ音を立てて降っていました。それでリーフィアはやっと、自分を起こしたのが雨のしずくだったことに気付いたのでした。
 背の高いハクタイのもりの木々は、茂らせたてのひらでたくさんのポケモンを雨の冷たさや雪の寒さから守ってくれます。けれど今はたくさんの雨粒が、初夏を迎えてみずみずしくきらめく緑の葉っぱからこぼれ落ちてきます。
 人間の言う「梅雨の雨」がまた降りはじめたのだと気付きました。この様子だと、きっとハクタイの町も大雨なんだろうな。顔のしずくをもう一度前足でぬぐいながら、リーフィアは思いました。

 雨のときにだけ漂う、いつもよりもさらにかぐわしい森の香りに包まれながら、リーフィアは木々のアーチの下をゆっくりと歩きます。うす暗い森に射しこんで影絵を作ってくれる木もれ日も、今日は姿を隠したまま。森はいっそううす暗くてなんだか元気がなさそうです。リーフィアには、灰色の空といっしょにこの森もさめざめと泣いているように見えました。
 こんな日は野生のポケモンたちもみんな、姿を見せることなくひっそりとおやすみしています。リーフィアの萌黄色の前足が草むらをさわさわ揺らしても、今日は少しも飛び出してくることはありませんでした。みんなリーフィアと同じようにお日さまが恋しくて、この雨にちょっぴり憂鬱になっているのです。それはハクタイのもりの大きな木々たちも同じ。眠りっぱなしのお日さまが恋しいそうに静かに揺れていました。

 しばらく森の小道を散歩したあと、古びた外国風のお屋敷の前で、ふとリーフィアは立ち止まりました。このお屋敷には、もうずっとむかしから人が住んでいないようでした。青の柱、白堊の壁。その風貌はこの森には似つかないほどきらびやかで、けれど人の手をはなれた今はそれもくすんでしまっているのです。ちゃんとお世話をしてあげる人間がいたらもっときれいなのに、リーフィアはいつも思います。

 リーフィアには、雨の日に決まってすることがありました。このお屋敷の玄関で雨やどりをすることです。
 森の木々は葉っぱを広げて、リーフィアを空の涙で濡らさないように隠してくれます。同じように、お屋敷もリーフィアを空の涙からも、そして木々の涙からも隠してくれました。お屋敷は声をかけても森のようには返事をしたり歌を歌ったりはしてくれません。けれどなにも言わず静かに自分を雨やどりさせてくれる、そんなお屋敷がリーフィアは大好きなのでした。
 それから、リーフィアは雨上がりのお屋敷が見せる顔も好きでした。いちばんのお気に入りは、雨のしずくをいっぱいにまとったクモの巣です。雨上がりの木もれ日に照らされてきらきら輝くそれは、まるでダイヤモンドをあちこちに散りばめたかのよう。だからリーフィアは、いつもこの場所で雨が上がるのを待つのでした。
 深紅の扉を背にして、リーフィアは雨空を見上げます。お日さまはまだまだ顔を見せてくれそうにありません。もうひと眠りしようかとリーフィアが体を丸めたそのとき、その耳が何かをとらえてぴくんんと動きました。

「リーフィアーっ! リーフィア、あそびにきたよー!」

 ――リーフィアにはもうひとつ、雨がずっと降っている日の楽しみがありました。
 雨の日になると決まって傘を持って遊びにやってくる、ミノリちゃんという女の子と過ごすことです。

 遠くから響いてきたリーフィアを呼ぶ高い声に、草むらに隠れていたわずかなポケモンたちがいっせいに逃げ出します。
 ぱしゃしゃと水のしぶきを跳ねあげて、ぱたぱたと開いた傘に雨粒の歌を奏でながら、ひとりの女の子が古びた洋館にたたずむリーフィアのもとへと駆け寄ってきました。――ミノリちゃんです。その姿を見たリーフィアは、鳴き声ひとつ上げると濡れるのもかまわずに雨の森へと飛び出しました。
 ふわり、水玉もようの花びらが空に舞いました。ミノリちゃんは青空と同じ色をした傘を投げ出して、飛び込んできたリーフィアをその胸にぎゅうっと抱きしめます。甘い香りがリーフィアをくすぐりました。

「雨、やみそうもないね」
 傘を拾うのも忘れて、ミノリちゃんははじめて出会ったときと同じ言葉を、腕の中のリーフィアにささやきました。
 はじめてミノリちゃんに出会った日も、こうして六月の長い雨が降っていました。まだリーフィアは体のちいさなイーブイだったので、よくミノリちゃんの両手の中にだっこをしてもらいました。あの日見た木もれ日は今よりも少しだけ近くにあったのを、リーフィアはよく覚えています。ミノリちゃんのちいさな手も、少し大きくなったようでした。けれどその手になでられるのが大好きなのは、今と昔とで少しも変わりはありません。
 ふたりのわんぱくごころだって昔のままです。森のあちこちを走り回ったり、お昼寝をしていたクヌギダマを起こしてしまって怒られたり。出会ってからというもの、ふたりはいろんなできごとを分けあってきました。
 まっくらなお屋敷の中を探検したこと、人のいないはずのそこで聞こえた得体の知れない物音におびえたことは今でも忘れません。口にくわえたミノリちゃんの服がふるふると震えるのを感じながら、絶対にミノリちゃんを守るんだ、この服はなにがあっても放すもんか、そう誓ったときにちょっぴり大きくなれたような気がしたことも。

 遠い日の懐かしさに思いをはせながら、リーフィアは空を見つめていました。恋しいお日さまは、遠く灰色の雲の上。もう何日も顔を見せてくれていません。いつもならやさしい木もれ日を注ぐ木々の向こうに見えるかすかな青空も、今日は何度見上げてもやっぱり同じ灰色。木もれ日のかわりに降り注いできた雨のしずくが、すうっとリーフィアの顔を濡らしていきました。
 ミノリちゃんは、そんなリーフィアの姿に見とれていました。森の木々の中にも凛として映える葉っぱに乗ったままの玉水は、うすい森の明かりの中にきらきらと光ります。ミノリちゃんはなにかに思いをめぐらせているかのようにぼうっとその様子を見つめていましたが、はっと我に帰ると、すっかり湿ってしまったカバンをごそごそとあさりながら、リーフィアに言いました。
「ごめんねリーフィア、ぼーっとしちゃって。冷たかったでしょ?」
 ミノリちゃんはカバンから傘と同じ空色のタオルを取り出して、リーフィアの顔をそっとぬぐってあげました。リーフィアの大好きな花の香り、ミノリちゃんと同じ花の香りが、やさしくリーフィアを包み込みます。ふかふかやわらかい布地と、その向こうから伝わってくるミノリちゃんの手のひらの感触が心地よくて、リーフィアは思わず喉を鳴らします。ミノリちゃんがにこっと笑いました。

「なかなか晴れないね。リーフィアも、お日さまが待ちどおしい?」
 放り出した傘の花をそっと握り、雨やどりのお屋敷へと歩きながらミノリちゃんは言いました。
 お日さまが恋しいのはリーフィアも同じでした。晴れた日にはミノリちゃんといっしょに森のポケモンとバトルしたり、澄みわたる空の下でハクタイの町をお散歩したりしました。
 ぽかぽかあたたかい日には、草の上でなかよくお昼寝をしたこともあります。戦いにすっかり疲れ切って、穏やかな風の中ふたりで眠っているうちに、「イーブイ! イーブイ、起きて、すごいよ! リーフィアになったんだね!」――いつの間にか自分の体にはたくさんの葉っぱが生えていたこと、ミノリちゃんがいっぱいの笑顔で喜んでくれたことだって。
 森にたくさんの光があふれた日にも、忘れられないたくさんの思い出ができました。

 でも、もしお日さまが姿を見せてくれなくても、リーフィアにはそれでもいいかなと思えました。
 雨やどりをするとなりには、お日さまのようなミノリちゃんの笑顔があるからです。

 ミノリちゃんの笑顔は、今までリーフィアがこの森やハクタイの町で見てきたどんな笑顔よりもまばゆくて、きらきらしていて、見ている自分をしあわせにしてくれます。雨やどりをするときはいつだって、灰色の雲が晴れゆくのよりも早く、お屋敷の玄関に光がぱあっとあふれるのです。
 ミノリちゃんは、きっとリーフィアの気持ちには気付いていないでしょう。けれどただなにも言わずにそのとなりにいられるのなら、そのぬくもりを感じることができるのなら、リーフィアはただそれだけでしあわせなのでした。

「お日さまに会えたら、またいーっぱいあそぼうね。
 もしお日さまが出てこなかったら、……ずーっと、こうして雨やどりしてようね」

 ミノリちゃんはお屋敷の壁に背中をあずけながら、もう一度リーフィアをぎゅっと抱き寄せました。
 お日さまの恋しさを忘れさせてくれるその笑顔に、リーフィアも負けないくらいにぱあっと笑顔を咲かせて、そのほっぺたをすり寄せました。

 長雨にふたり頬寄せ雨やどり。
 まだまだからりと澄みわたった青空は帰ってきそうにありません。けれどハクタイのもりにはもう、ふたつの太陽がちいさく、それでもさんさんと輝いていたのでした。


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